イギリス植民地支配とカースト制度について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 22:57 UTC 版)
「不可触民」の記事における「イギリス植民地支配とカースト制度について」の解説
カーストという単語はもとポルトガル語で「血統」を表す語「カスタ」(casta) であり、ラテン語の「カストゥス」(castus、「純粋なもの」「混ざってはならないもの」の意。転じて「純血」の意)に起源を持つ。15世紀にポルトガル人がインド現地の身分制度であるヴァルナとジャーティを同一視して「カースト」と呼んだ。そのため、「カースト」は歴史的に脈々と存在したというよりも、植民地時代後期の特に20世紀において「構築」または「捏造されたもの」ともいわれる。 植民地の支配層のイギリス人は、インド土着の制度が悪しき野蛮な慣習であるとあげつらうことで、文明化による植民地支配を正当化しようとした。ベテイユは「インド社会が確たる階層社会だという議論は、帝国支配の絶頂期に確立された」と指摘している。インド伝統の制度であるヴァルナとジャーティの制度体系は流動的でもあり、固定的な不平等や構造というより、運用原則とでもいうべきもので、伝統制度にはたとえば異議申し立ての余地なども残されていた。ダークス、インデン、オハンロンらによれば「カースト制度」はむしろイギリス人の植民地支配の欲望によって創造されてきたものと主張している。またこのような植民地主義によって、カーストは「人種」「人種差別」とも混同されていったといわれる。 ホカートは、カーストと認定された「ジャーティ」は、実際には非常に弾力的で、あらゆる類の共通の出自を指し示しうるものと指摘している。 カーストに対応するインド在来の概念としては、ヴァルナとジャーティがある。外来の概念であるカーストがインド社会の枠組みの中に取り込まれた時、家系、血統、親族組織、職能集団、商家の同族集団、同業者の集団、隣保組織、友愛的なサークル、宗教集団、宗派組織、派閥など、様々な意味内容の範疇が取り込まれ、概念の膨張がみられた。 なお、イギリスが植民地経営を進める中では、1818年のコーレーガーオンの戦いに見られるように、ダリットを主力としたイギリス軍がカースト上位の戦士を主体とする軍を打ち破り、制度そのものを破綻させかねない極端な出来事もあったが、多くの局面ではカーストの温存が植民地経営を容易にすることもあり、カースト化が進行した。 ヴァルナ・ジャーティ制について カースト制を、在来の用語であるヴァルナ・ジャーティ制という名称で置き換えようという提案もあるが、藤井毅は、ヴァルナがジャーティを包摂するという見方に反対しており、近現代のインドにおいて、カーストおよびカースト制が既にそれ自体としての意味をもってしまった以上、これを容易に他の語に置換すべきでないとしている。 イギリスの植民地支配によって、一面では以前よりインド社会のカースト化が進行した。イギリス領インド帝国の権力はヴァルナの序列化の調停役を果たしたのであり、国勢調査報告者や地誌はジャーティの序列にしばしば言及し、また、司法は序列の証明となる慣行を登録して、随時、裁可を与えていた。このように、序列化を広く社会的に押しひろげていく要因のひとつには植民地支配があった。しかし、他方では、近代化とともにカースト制批判も強まって、1919年のインド統治法では不可触民にも議席が与えられた。
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