イギリス東アフリカ会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 08:25 UTC 版)
「イギリス領東アフリカ」の記事における「イギリス東アフリカ会社」の解説
イギリス政府は当時アフリカ大陸南部の権益確保に力を注いでおり余裕がなかったため、民間の手を借りることとし、インド洋全域に航路を広げザンジバル・スルタン国や東アフリカ一帯との商取引も行っていた英領インド汽船会社(英語版)(British India Steam Navigation Company)の社長、ウィリアム・マッキノン(英語版)(William Mackinnon)にアフリカ東部でのイギリス勢力圏の建設を勧めた。 マッキノンはイギリス東アフリカ協会(British East Africa Association)を結成し、1888年には勅許を受けて勅許会社の帝国イギリス東アフリカ会社(英語版)(Imperial British East Africa Company, IBEA)を設立した。イギリス東アフリカ会社は、1890年にはさらにウガンダもイギリスの勢力圏に収め、モンバサからビクトリア湖への鉄道(ウガンダ鉄道)建設や農地開発などを始めたが、ブガンダ王国(現ウガンダ)のカバカ(王)や各地を支配する宣教師たちとの対立が起こり、これに力と時間を割かれて経営は悪化した。
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