ウガンダ鉄道
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ウガンダ鉄道(Uganda Railway)は、ウガンダ、ケニヤの内陸部とインド洋に面するモンバサを結ぶ鉄道システム。アフリカ分割時代に、植民地政策の一環としてイギリスによって造られた植民地鉄道。1896年-1901年にモンバサ-キスム間が建設されたのが始まり。
- ^ a b c d 林一哉「ウガンダ鉄道と英領東アフリカ 植民地鉄道の現地経済への影響」『經濟學論叢』第40巻 第4号 pp.105-155, 同志社大學經濟學會 1989年7月31日
- ^ a b 東アフリカにおける南アジア系移民関谷雄一、青山学院女子短期大学総合文化研究所年報 (17), 141-165, 2010-03
- ^ 『ヒトは食べられて進化した』ロバート・W. サスマン、科学同人社、2007
- ^ Wolmar, Christian (2009). Blood, Iron & Gold: How the Railways Transformed the World. London: Atlantic Books, p182
- 1 ウガンダ鉄道とは
- 2 ウガンダ鉄道の概要
- 3 関連作品
ウガンダ鉄道
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詳細は「ウガンダの鉄道」および「ケニアの鉄道」を参照 東アフリカの鉄道の軌間は1000mmの狭軌であり、インド洋の港から内陸を目指すようにイギリス領(現ケニア、ウガンダ)とドイツ領(タンガニーカ)のそれぞれで並行して進められた。後にこれらの路線は一つに結ばれ、ウガンダのヴィクトリア湖畔の都市カンパラからケニアのモンバサ、あるいはタンザニアのダルエスサラームまで繋がっている。 これらの鉄道は旧イギリス領の鉄道を経営していたウガンダ鉄道を引き継いだ東アフリカ鉄道によって運営されていたが、1977年の東アフリカ共同体解散後は国ごとの国有鉄道に分かれた。
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