ウガンダ独立期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 23:36 UTC 版)
1940年代から1950年代の独立運動期に南部の最大民族ガンダ族は自治の拡大を求めていた。ブガンダの王党派カバカ・イエッカ(KY, 王のみ)も同じだった。しかしその他の民族が同様に望んでいる訳ではなかった。教育を受けたエリートによる民主党は国民統合を掲げた。民主党はブガンダでは支持されなかったが、その他の南部のバントゥー系に支持された。また民主党指導部はカトリック系でプロテスタントが多数派のガンダ族と対立した。 そうした中1952年にウガンダ民族会議 (UNC) が結成され、オボテが代表となり東部で支持を拡大した。UNCは連携相手の他党を取込んでウガンダ人民会議となった。KYとUPCと民主党が独立前の第1回選挙で争った。予想通り、KYが(ボイコットを呼びかけていたが)南部の大半の議席を、UPCが東部と北部の大半の議席を獲得した。それでも第一党はベネディクト・キワヌカ率いる民主党であった。キワヌカが初代首相となったが、独立までにKYとUPCの連立でオボテと交替した。 カバカは民主党が近代化を掲げ君主制を廃止するのではと恐れた。オボテは選挙で敗れ連立が権力への道であると悟った。オボテはムテサ2世に王権の維持と新政権での儀礼的役割を約束した。KY/UPC連立によりオボテはウガンダ独立時の初代首相となった。
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