イギリス植民地下での発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 15:08 UTC 版)
「香港の歴史」の記事における「イギリス植民地下での発展」の解説
中国大陸におけるイギリス資本主義の拠点となった香港では、イギリス政府による植民地統治機関である香港政庁のもとで、19世紀末から20世紀初にかけて華南貿易の基地として発展する。1884年(光緒10年)には跑馬地(Happy Valley・ハッピーバレー)に皇家香港賽馬会(Royal Hong Kong Jockey Club・ロイヤル香港ジョッキー・クラブ ; 現香港ジョッキークラブ)の競馬場が建設されてイギリス人の社交場となり、1877年(光緒3年)には香港西医書院(香港医科大学の前身)が創立され、1910年(宣統2年)には総合大学である香港大学に発展する。 経済面では1865年(同治4年)に創設されたイギリス資本の香港上海銀行が、その多くをイギリスが植民地統治下においていた極東最大の銀行に発展し、地域通貨として初期には銀貨が使用され、後の1935年(民国24年)には香港ドルが発券された。 1928年(民国17年)に南京国民政府が成立すると清英間で締結された不平等条約の改定を目指したが、イギリス側が交渉に応じなかった。なお当時の中華民国と新界の国境線は開放され、中国人は自由な往来が可能であった。
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