イギリス旅行
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船が英国のグリニッジに着くと、在米ペンテコステ同盟会を訪れた。レーダー・ハリス会長の夫人に英国旅行の手配をしてもらい、ロンドンのバークレー・バックストンの実家に立ち寄った。バックストンは来日中で会えなかったが当主のトマス・バークレー(Sir Thomas Buxton, 3rd Baronet)夫妻より歓迎される。 中田がロンドンに着いた翌日の5月19日政治家のウィリアム・グラッドストンが死去した。中田はグラッドストンの葬儀に出席し、グラッドストンから大きな影響を受けることになった。 さらに、バックストン家より下宿料を貰ってロンドンで下宿した。また、バックストン家の紹介で実業家で政治家のD・A・トマス(D.A.Thomas)に出合った。また、ウェストミンスター寺院のジョン・ウェスレーの墓を訪れた。 帰国の費用がなかったが、日本籍の船舶佐渡丸にボーイとして雇われて帰国することができた。船の中で同郷出身で東奥義塾の知り合いの珍田捨巳に会った。珍田から一等船客に招かれたが、辞退してボーイを続けながら帰国した。
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イギリス旅行
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3月16日にフランスの郵船オセアニーン号で上海を発ち、インド洋を経て、4月26日にロンドンについた。5月3日のジョン・ウェスレーの墓に行き、エクセターホール(Exeter Hall)で講演をした。その時に、スコットランド人の説教家オズワルド・チェンバーズと知り合う。中田はチェンバースとガーディナーと一緒に北部スコットランドに行き、カレドニア運河からフォート・ウィリアムやインヴァネスに行った。 途中チェンバースが病気になったので、中田はディビット・トマスと一緒にウェールズに行き、アメリカ人のクェーカーの伝道者チャールズ・ストーカーと一緒にイギリスの島々を巡回説教した。ストーカーはスコットランドに行き、中田はチェンバーズと共にアメリカに渡ることになった。 6月にポーツマスに行った。そこでは、帝国海軍の軍艦香取、鹿島が停泊していたので、乗組員に伝道し、ウェルカム・ミッションという水夫のための伝道館でも伝道した。ロンドンに戻り、ウェストミンスター・チャペルでキャンベル・モルガンの聖書講義とトマス・スポルジョンの説教を聴いた。 7月21日にケズィックに行く。そこには木村清松、松井米太郎、日野原善輔らの日本人がいた。7月28日から開かれたケズィック大会に出席した。中田はバックストンやパゼット・ウィルクスらと共に大会の説教をした。9月にロンドンに帰り、バックストン家で、松江聖公会の永野武二郎に会った。そして、東ロンドンのマントルの運動を見た。
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イギリス旅行
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20日にリバプールに到着すると、ジャクソンとい人物に出迎えられた。ボルケンヘッドへ行き、ドライスデール聖書学院に止宿して、ドライスデールのインマヌエル教会で説教した。レテー・カウマンたちが同行した。 ロンドンではバークレー・バックストンに会おうと思ったが留守で会うことができず、バーンマウスの日本伝道隊の修養会に行き、バックストンとバゼット・ウィルクスに再会した。ブラジルではホーリネス日本人教会を訪問する。中田は五週間滞在して説教をして教会を励ました。 ロンドン大学在学中の蔦田二雄と共にドンカスターとサンダランドに行った。9月9日ロンドンのウェスレアン派のサウスウールのキングス・ホールで説教した。その時に「日本のウェスレー」と広告された。
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