ウェストミンスター・チャペルとは? わかりやすく解説

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ウェストミンスター・チャペル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 06:42 UTC 版)

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Westminster Chapel

ウェストミンスター・チャペル(Westminster Chapel)は、1840年からロンドンに所在する福音主義教会である。バッキンガム宮殿から200ヤード(183m)のところに位置する。教会は長い間、福音派クリスチャンの交わりの場であった。現在の教会堂は1865年に開かれ、約1500人が入る。ここは会衆派教会として創立され、1839年から1968年までマーティン・ロイドジョンズ牧会伝道した。ロイドジョンズの牧会時代に会衆派ユニオンを離れて、独立福音教会フェローシップのメンバーとなった。

ロイドジョンズの後任の牧師は聖霊派の出身者である。

起源

チャペルのウェブサイトによる:

「1840年当時、ウェストミンスター・チャペルが現在建つ地域は未開発地域だった。その時から比べるとかなり発展した。また、この地域の歴史的建造物、バッキンガム宮殿やウェストミンスター教会に、多くの旅行者が訪れる。」

ミニストリー

教会の信仰は福音主義である。礼拝はワーシップの時を持ち、預言とサーモンを含み、聖書的な説教がある。

ウェストミンスター・チャペルはロンドンと連合王国、国家への預言的な声であろうとする。教会は「ミッション・ビジョン」と題する小冊子を出した。そこでは教会が聖霊に導かれ、預言的でさらに宣教に励むと述べられている。

牧師

  • (1842-1878) Rev'd Samuel Martin BA (helped by Mr Simon for the last two years of his pastorate)
  • (1876-1887) Rev'd Henry Simon
  • (1887-1894) 無牧時代
  • (1894-1895) Rev'd W Evans Hurndall MA
  • (1896-1902) Rev'd Richard Westrope
  • (1902-1904) 無牧時代
  • (1904-1917) Rev'd Dr G Campbell Morgan DD (キャンベル・モルガン
  • (1904-1907) Rev'd Albert Swift (co-pastor with Dr Campbell Morgan)
  • (1918-1922) Rev'd Dr J H Jowett CH MA DD
  • (1923-1925) Rev Dr John Hutton MA DD
  • (1926-1927) 無牧時代
  • (1928-1933) Rev'd Dr Hubert Simpson MA DD
  • (1933-1943) Rev'd Dr G Campbell Morgan DD (Associate Minister for one year with Dr Simpson)
  • (1939-1968) Rev'd Dr D Martyn Lloyd-Jones MD MRCP (マーティン・ロイドジョンズ)(Associate Minister with Dr Morgan until August 1943)
  • (1969-1974) Rev'd J Glyn Owen BA BD DD
  • (1974-1976) 無牧時代
  • (1977-2002) Rev'd Dr R T Kendall AB MA MDiv D Phil (Oxon)
  • (2002- ) Rev'd Greg Haslam

外部リンク

座標: 北緯51度29分56秒 西経0度08分18秒 / 北緯51.4988度 西経0.1382度 / 51.4988; -0.1382


ウェストミンスター・チャペル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 01:05 UTC 版)

マーティン・ロイドジョンズ」の記事における「ウェストミンスター・チャペル」の解説

10年の間ウェールズ牧会した後、1939年にウェストミンスター・チャペルのキャンベル・モルガン共同牧会者として招かれロンドン戻った。彼が公式に牧師として任じられる日に、ヨーロッパで戦争勃発した同年イギリス連合王国キリスト者学生会IVF(現Universities and Colleges Christian Fellowship)の総裁となったモルガン1943年引退したロイドジョンズはその講解説教知られる。彼が説教をする主日朝の礼拝は約千五百人、夕礼拝は約2千人出席した金曜日聖書研究も同じスタイルだった。彼は聖書1章講解に何ヶ月あるいは何年もかけた。約1時間説教は、ロンドン大学から多く大学生引き寄せた説教筆記されて、ウェストミンスター・レコードが週に一度印刷され熱心に読まれた。 1966年ロイドジョンズ福音同盟会議において、すべての福音的な牧師たちに、リベラル福音主義混合した教派(特にイングランド国教会)を離れ福音派形成するように呼びかけた。そのためキリスト教界の出版物論争起こったアングリカン内の福音派指導者ジョン・ストットはこれに反対し、ストットらはアングリカン残留することになった。この時離脱は起こらなかったが2009年入ってから、リベラルなカナダ聖公会米国聖公会から分離して北米聖公会形成された。

※この「ウェストミンスター・チャペル」の解説は、「マーティン・ロイドジョンズ」の解説の一部です。
「ウェストミンスター・チャペル」を含む「マーティン・ロイドジョンズ」の記事については、「マーティン・ロイドジョンズ」の概要を参照ください。

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