イギリス政府の再度の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 05:44 UTC 版)
「アメリカ独立戦争における外交」の記事における「イギリス政府の再度の変化」の解説
7月1日、イギリス政府の名目上の首班だった第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワースが急死し、第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティが後継とならざるを得ず、そのことでチャールズ・ジェームズ・フォックスの辞任に繋がり、議会の反戦ホイッグ党が大きく割れることになった。これにも拘らず、交渉の続きはシェルバーンの素直でない指導力の下で続けられることになった。例えば、ジョージ・ワシントンにイギリスは前提条件無しにアメリカの独立を受け入れると述べた手紙を送るために大西洋を渡る時間が大いに掛かるという利点を利用し、オズワルドがパリに戻ってフランクリンやその仲間(ジョン・ジェイはこの時までにスペインから戻っていた)と交渉する時にそのような約束をする権限を与えていなかった。
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