移民同化政策の推進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 02:53 UTC 版)
「日系ブラジル人」の記事における「移民同化政策の推進」の解説
日本人移民の増加と定住化が進んだものの、増え続ける日本人移民に対する人種差別感情や、その成功に対する妬み、さらに1930年代に入り満州事変や日中戦争など日本の対外侵攻が相次いだことを受けて、日本人移民に対する排斥の動きがにわかに高まった。 さらに、1930年に大統領に就任したジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが、移民のブラジルへの同化政策を進め(日本人移民のみならず、すべての移民に対して行われた)、ブラジルの公立学校での外国語の授業を禁止する法令を下し、これを受けて1938年12月には日本人学校の廃止が行われた。さらに軍や警察のレベルではそれが拡大解釈され、公道の路上で出身国の言葉を話した日本人、イタリア人、ドイツ人が逮捕される事件が頻発した。また、外国語の短波放送を聞いた移民が逮捕され、あるいはラジオを没収される事件が多発した。 これらの動きを受けて1930年代後半には日本へ帰国する移民が相次いだ上に、1939年9月に発生した第二次世界大戦のヨーロッパおよびアフリカ戦線における戦闘激化や日米間の関係悪化を受けて太平洋航路が運休されたため、1941年8月をもって日本人移民の受け入れが停止された。
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