移民前史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 13:25 UTC 版)
1948年、沖縄海外協会が再発足した。1952年に設立された琉球政府は、総務局に移民課を設置した。 1953年、戦前に沖縄からボリビアへの移住者を中心に結成した「うるま農産業組合」が提案していた移民計画が、ボリビア政府により、承認をうけた。計画は、10,000haの国有地への入植と10年間に3,000人の移民受け入れを骨子としていた。アメリカ民政府と琉球政府は、スタンフォード大学のジェームズ・ティグナーに現地調査を依頼した。 ティグナーからの報告を受けた、琉球政府は沖縄海外協会を琉球海外協会に改称した。また1953年に移民使節団をボリビアに派遣した。使節団は約1ヶ月ボリビアに滞在し、移住予定地の視察とパス・エステンソロ大統領、およびボリビア政府要人と折衝を行った。1954年3月11日付で使節団は、ボリビア政府と移住計画を合意したことを、琉球政府に報告された。
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