移民事業の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 18:39 UTC 版)
「満洲農業移民百万戸移住計画」の記事における「移民事業の終焉」の解説
アジア・太平洋戦争の勃発以降、国内農業者の大量兵員化と軍需工場労働者化のために、満洲移民として確保すべき人員が極度に不足し、日本人移民送出数は急減した。1945年(昭和20年)の敗戦を迎える前に日本人移民事業は崩壊した。そして、1945年8月9日のソ連軍の満洲侵攻の日を迎える。関東軍は、移民達を置き去りにして逃走した。この時点における在満洲国移民団員の数は約22万人であったが、そのうち現地死亡4万6,000人、行方不明者3万6,000人、ソ連抑留者3万4,000人であり、どうにか日本にたどり着いた人は、22万人の半数に過ぎなかった。
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