移民再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 02:53 UTC 版)
1951年に日本とブラジルの国交が回復したことを受けて、ヴァルガス大統領は日本人移民の受け入れ再開を認め、1953年から移民の送り出しが再開された。さらに1954年には、外務省が移民送り出しのための機関として「日本海外協会連合会」を設立した他、1955年には日本人移民への開拓地の分譲促進を目的とした「日本海外移住振興会社」が設立された。これらの政府による施策が行われたこともありブラジルへの移民数が増加し、1959年に日本人移民は年間で7000人を超え、延べ移民総数は13万人に達した。 なお第二次世界大戦後の日本人移民には、上記のような政府による支援策が用意されただけでなく、「コチア産業組合単独青年雇用移民」をはじめとして、戦前の移民が作った各種組合など現地における受け皿が用意され、現地における受け入れ態勢が未熟な戦前の移民に比べ恵まれた環境となった他、建設省が後援していた「産業開発青年隊」や日伯合弁企業への技術者の移民など、高等教育を受けていて農業や工業など様々なジャンルにおける高い技術を持った、いわゆる「技術移民」の割合が多くなった。 これらの戦後の移民は「新移民」と呼ばれ、教育程度の低い農業労働者や単純労働者を中心とした「旧移民」と区別された。この時点で、ブラジル日系社会は最盛期を迎える。多くの日系人は大学を卒業し、ブラジル一般社会で大きな成功を収めた。
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