第二次世界大戦後の日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 13:32 UTC 版)
「アマチュア無線の歴史」の記事における「第二次世界大戦後の日本」の解説
太平洋戦争に敗戦すると、すぐに日本におけるアマチュア無線の再開運動が始められた。しかし日本の電波の全ては、占領軍の管理下に置かれ、アマチュア業務用の周波数は、占領軍およびその関係者のアマチュア業務用として占有された。 1950年(昭和25年)施行の電波法で「アマチュア局」という名称や資格制度、国家試験の内容も定められたが、GHQは、日本語で行われる通信内容の検閲が困難、米ソ対立、朝鮮戦争といった理由より再開を認めなかった。日本のアマチュア無線はサンフランシスコ平和条約が発効し、国際法上、連合国との戦争状態が終結し、主権を回復した1952年(昭和27年)に再開された。 日本では、1958年(昭和33年)11月に電信級・電話級の初級資格が創設された。1966年(昭和41年)にはその養成課程講習会制度が導入され、修了試験に合格すれば資格が与えられるようになった。こうして入門のハードルが低くなったためにアマチュア無線家の爆発的な増加をもたらした。その後、高度経済成長と、科学技術に対する国民の高い関心を背景として、1970年代半ばには米国を抜いて、世界一のアマチュア無線人口を擁するに至った。 一方で1967年(昭和40年)には、電信級・電話級の試験を民間(日本アマチュア無線連盟)が行うようになった後、替え玉受験などの不正や暴力団の介入などの不正問題が深刻化。1976年(昭和51年)には郵政省が日本アマチュア無線連盟対して書面で注意することがあった。
※この「第二次世界大戦後の日本」の解説は、「アマチュア無線の歴史」の解説の一部です。
「第二次世界大戦後の日本」を含む「アマチュア無線の歴史」の記事については、「アマチュア無線の歴史」の概要を参照ください。
- 第二次世界大戦後の日本のページへのリンク