同化政策と迫害の縮小
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 15:26 UTC 版)
マリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世は、単一的な制度と国民を持つ中央集権の近代国家を目指す啓蒙君主であった。そのため彼は、ユダヤ人と他の民の同質化を図る傾向があった。 ヨーゼフ2世は、ボヘミアとモラヴィアのユダヤ人に対して、黄色いバッジの着用義務や大学入学の禁止や商業の制限などを廃した。さらに18世紀以降半にはゲットーを取り囲んでいた壁を取り壊させ、ゲットーをプラハの一地区に組み込んだ。一方で公文書にヘブライ語やイディッシュ語の使用を禁止し、ラビの司法権を廃するなどゲットーの自治権を大きく制限し、ユダヤ人にも兵役を課すなどした。こうしてゲットーは1848年革命まで単なる宗教的な自治体と化した。 ヨーゼフ2世のこうした改革や彼のゲットー訪問を記念して、18世紀末以降にゲットーは「ヨゼフォフ」と呼ばれるようになった。しかしヨーゼフ2世もその後のフランツ2世も、ユダヤ人を完全に同化させるのには躊躇していた。「寛容税」も「相続法」もゲットー居住義務も解除されなかった。
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