神的なもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/30 02:46 UTC 版)
「ヘルマン・シュミッツ」の記事における「神的なもの」の解説
シュミッツにおいて、宗教は神との関わりではなく、その根源にある「神的なもの(das Göttliche)」との関わりから捉えられる。この神的なものは、オットーのヌミノーゼをより一般化したもので、抗えないほど圧倒的な力をもって襲いかかる雰囲気である。そうした雰囲気には、畏怖、戦慄、荘厳、激しい羞恥心、法悦などいろいろなものがあり、また神的な雰囲気として、どのような感情がどれくらい強烈に体験されるかは、人によっても時と場合によっても異なる。したがってシュミッツにとって神的なものは、永遠不変でもなければ、普遍的に妥当でもなく、体験する主体や状況によって異なる。しかし雰囲気自身は、個人を超えて集団でも体験されるものであり、ある社会や時代で共有されるものでもある。また神的雰囲気は、その強烈さゆえに関わりあうのが困難であるが、それを具象化して「神」とし、様式化した関係を結ぶことで、いわゆる制度としてのより安定した宗教が成立する。このような立場をとるシュミッツの宗教論は、神的なものの原初的体験や、神秘体験から、儀礼や慣習まで幅広く柔軟に扱うことができるという点で特異であろう。
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