エティエンヌ・ジルソンとは? わかりやすく解説

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ジルソン【Étienne Gilson】

読み方:じるそん

[1884〜1978フランス哲学者中世哲学価値再評価し中世暗黒時代観訂正したネオ‐トミスムの思想家として知られる。著「中世哲学精神」「絵画現実」など。


エティエンヌ・ジルソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 03:29 UTC 版)

エティエンヌ・ジルソン
Étienne Gilson
エティエンヌ・ジルソン
生誕 (1884-06-13) 1884年6月13日
フランスパリ
死没 1978年9月19日(1978-09-19)(94歳)
フランスオセール
時代 20世紀の哲学
地域 西洋哲学
学派 トマス主義
新トマス主義
研究分野 神学形而上学政治文学哲学史
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エティエンヌ・アンリ・ジルソン(Étienne Henri Gilson、1884年6月13日 - 1978年9月19日)は、フランス哲学者哲学史家。専門は西洋中世哲学キリスト教哲学デカルト研究で知られる。ノーベル文学賞にノミネートされたが、受賞には至らなかった。

生涯

1884年6月13日、パリカトリックの家庭に生まれる。父はムラン、母はブルゴーニュの出身。聖クロチルド聖堂区キリスト教兄弟小学校、ノートルダム・デ・シャン小学校、アンリ4世校哲学科を経て、1905年にパリ大学入学。パリ大学ではヴィクトル・デルボス (Victor Delbosデュルケームレヴィ=ブリュールに師事。その後、コレージュ・ド・フランスにてベルクソンに師事する。その後、ブール=カン=ブレスリセ・ラランド(Lycée Lalande)などでリセの哲学教授(教師)として教鞭を執る。

1913年、デカルト研究でパリ大学より博士号取得。1913年、リール大学文学部講師。

1914年、陸軍予備役下士官として招集され、1916年にドイツ軍の捕虜となった後、1919年除隊。

1919年、ストラスブール大学教授。1921年、パリ大学文学部教授に就任し、哲学史を担当。1929年カナダオンタリオ州トロント大学に中世研究所を創設し所長。1932年、コレージュ・ド・フランス教授。

他にもハーバード大学など、北米ほか各地の大学にも招聘され講義を行なった。特に1930年から32年にかけ、スコットランドアバディーン大学でのギフォード講義The Spirit of Medieval Philosophy 中世哲学の精神」は著名で各国語に訳された。

1978年9月19日、フランス中部・ヨンヌ県オセールで死去。

研究

指導教官リュシアン・レヴィ=ブリュールに勧められたことから、デカルトの研究を開始する。そして、1912年に、デカルトの定立した概念がいかに中世に定立された概念に依拠しているかを文献を詳細に比較して分析した『スコラ哲学=デカルト哲学索引』 (Index scolastico-cartésien) を発表する[1]

その上で、近代ないし近世哲学と中世哲学との連続性を主張して、暗黒の中世的な哲学史観に転換を迫り、中世哲学の研究で業績を上げた。コレージュ・ド・フランスで、アンリ・ベルクソンの講義を聞き、トマス・アクィナスの研究を始めた。そこから、中世西洋哲学には、古代ギリシア哲学にはない、存在優位の思想があると主張して、両者の異質性を強調した。

エミール・ブレイエらは、物理学数学にキリスト教的物理学やキリスト教的数学が存在し得ないのと同じように、キリスト教的哲学 (philosophie chrétienne) は、過去には存在しなかったし、本質的に存在し得ないと主張した。これに対して、キリスト教的哲学を肯定する立場から、論争を繰り広げた。ジルソンによれば、哲学には、形式的本質と歴史的実在の二つの秩序がある。そして、キリスト教的哲学は、歴史的実在としての秩序に属し、その意味で過去に存在したし、イスラム哲学ユダヤ哲学と共に、哲学史の研究対象になると説いた。

著書

  • 『スコラ哲学=デカルト哲学索引』 (Index scolastico-cartésien, 1912)
  • 『中世哲学史』 (La philosophie au Moyen Âge, 1922)
  • 『デカルト体系の形成における中世思想の役割』 (Études sur le rôle de la pensée médiévale dans la formation du système cartésien, 1930)
  • 『中世哲学の精神』 (L’Esprit de la philosophie médiévale, 1932)
  • 『アベラールとエロイーズ』 (Héloïse et Abélard, 1938)
  • 『存在と本質』 (L'être et l'essence, 1948)
  • 『絵画と現実』 (Peinture et réalité, 1958)
  • 『ベルクソンへの賛辞』 (Hommage à Bergson, 1967)

訳書

脚注

注釈

  1. ^ アメリカ・フランシスコ会で活動した中世思想研究者(Philotheus Boehner, 1901-1955)

出典

  1. ^ 『理性の思想史 -哲学的経験の一体性』381頁

参考文献

  • エティエンヌ・ジルソン『理性の思想史 -哲学的経験の一体性』(三嶋唯義訳、行路社、1985年)の解説ほか。
  • ノーマン・F.キャンター 『中世の発見 偉大な歴史家たちの伝記』(朝倉文市・横山竹己・梅津教孝訳、法政大学出版局・りぶらりあ選書、2007年)
「第8章 堕落の後で」にジルソン論。本書は歴史家たちの生涯と著作・思想を通し、中世史研究の創始期の足跡を描く。

関連項目


前任
アベル・エルマン
アカデミー・フランセーズ
席次23

第14代:1946年 - 1978年
後任
アンリ・グイエ



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