第一期 生誕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 04:55 UTC 版)
高畠は、1886年(明治19年)1月4日、旧前橋藩士の五男として群馬県前橋市に生れた。 地元の旧制前橋中学に入学。在学中、前橋に訪れた海老名弾正や木下尚江の講演を聴き、キリスト教や社会主義に影響を受ける。 1906年(明治39年)、前橋中学校を卒業。経済的な問題から同志社(神学部。奨学金が給付されていた)に入学し、哲学と宗教を学ぶ。高畠の同志社入学時は日露戦争の直後であった。そのため平民社系の社会主義運動の影響を受け、遠藤友四郎、伊庭孝と、同志社内で社会主義を宣伝した。そのため在学一年程度で退学、社会主義者として著名であった堺利彦を頼るも、相手にされず郷里前橋に戻った。 前橋に戻った高畠は、1908年(明治41年)5月、遠藤友四郎らと『東北評論』を発行し、地元柳川町で社会主義運動の第一歩を踏み出す。この頃の高畠は、時代の影響から正統派社会主義の論陣を張っていた。1908年(明治41年)には赤旗事件に対する筆禍に問われ、高畠は編集者として禁錮4月の判決を受けた。
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