第一期・原始的採炭期とは? わかりやすく解説

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第一期・原始的採炭期(1810 - 1889年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 19:43 UTC 版)

端島 (長崎県)」の記事における「第一期・原始的採炭期(1810 - 1889年)」の解説

端島の名がいつごろから用いられるようになったのか正確なところは不明だが、『正保国絵図』には「はしの島」、『元禄国絵図』には「端島」と記されている。『天保国絵図』にも「端島」とある。 端島での石炭の発見一般に1810年文化7年)のこととされる(発見者不明)が、『佐嘉領より到来細書答覚』によると、1760年宝暦10年)に佐賀藩深堀領の蚊焼村(旧三和町・現長崎市)と幕府領野母村高浜村(旧野母崎町・現長崎市)が端島中ノ島下二子島(のちに、埋め立てにより高島一部となる)・三ツ瀬領有めぐって争いになり、その際両者とも「以前から自分達の葛根掘り刈り野焼き採炭行ってきた」と主張、特に後者は「四拾年余以前」に野母村鍛冶屋勘兵衛が見つけ、高浜村とともに採掘し長崎稲佐売り歩いていたと述べている。なお当時幕府領では『初島』と、佐賀領では『端島と書いていたようである(『佐嘉領より到来細書答覚』『安永二年境界掟書』『長崎代官記録集』)。 このように石炭発見時期はっきりしないが、いずれにせよ江戸時代終わりまでは、漁民漁業傍らに「磯掘り」と称し、ごく小規模に露出炭を採炭する程度であった1869年明治2年)には長崎業者採炭着手したものの、1年ほどで廃業し、それに続いた3社も1年から3年ほどで台風による被害のために廃業追い込まれた。36メートル竪坑無事に完成したのは1886年明治19年)のことで、これが第一竪坑である。

※この「第一期・原始的採炭期(1810 - 1889年)」の解説は、「端島 (長崎県)」の解説の一部です。
「第一期・原始的採炭期(1810 - 1889年)」を含む「端島 (長崎県)」の記事については、「端島 (長崎県)」の概要を参照ください。

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