第一期 校本作成の作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 05:15 UTC 版)
「源氏物語大成」の記事における「第一期 校本作成の作業」の解説
当初は、以下のような理由から河内本系統の写本を底本にして校本を作る作業を進められた。 『水原抄』、『紫明抄』、『原中最秘抄』、『河海抄』など、鎌倉時代から室町時代にかけて作られた源氏物語の初期の古注釈書のほとんどが注釈の対象となる本文としてこの当時有力な本文であった河内本系統の本文を使用していたこと。 1921年(大正10年)の山脇毅による「平瀬本源氏物語」の発見をはじめとする河内本諸写本の発見等によりすでに失われてしまったと考えられていた良質の河内本系の本文が実際に利用可能になったこと。 当時は「河内本ブーム」と評されたほど今となっては過大とも言えるほどに河内本の発見が源氏物語研究への寄与すると考えられていたこと。 そして1931年(昭和6年)に最終的な稿本を完成したとして1932年(昭和7年)11月19日および20日には東京帝国大学文学部国文学科において完成記念の展観会まで催されており、その際には集められた源氏物語の古写本を始めとする様々な資料と共に河内本を底本にした第1次から第5次までの稿本が閲覧に供されており、このうち第5次の稿本は全5巻からなる完成原稿であるとされている。 この時期の校本は「校本源氏物語」と呼ばれており、この時期の底本は、上記の展観会に際して発行された『源氏物語に関する展観書目録』には「校本源氏物語底本 河内本(禁裏御本転写)(室町時代)写 」と説明されている。かつては池田亀鑑のもとにあったが現在は天理図書館に所蔵されており、河内本の本文を持つことから「天理河内本」との名称で『源氏物語別本集成 続』で校合対象の一つになっている写本に、池田亀鑑が 本書は学会の重宝として貴重す へき希有の珍本にしてよろしく校本源 氏物語の底本として学界に弘布す へきものなり 昭和七年十一月 識之 と記した紙片が付されていることから校本源氏物語の底本はこの写本であろうと考えられている。 また、青表紙本系統の写本を底本とするようになってからも現在のように大島本を底本とする以前に現在は校合本文の一つとして採用されている横山本を底本とすることを検討していた時期があったとされている。
※この「第一期 校本作成の作業」の解説は、「源氏物語大成」の解説の一部です。
「第一期 校本作成の作業」を含む「源氏物語大成」の記事については、「源氏物語大成」の概要を参照ください。
- 第一期 校本作成の作業のページへのリンク