無神論論争
無神論論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:42 UTC 版)
「フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ」の記事における「無神論論争」の解説
「無神論論争」を参照 汎神論論争ののち、14年後の1799年にはヨハン・ゴットリープ・フィヒテのイェナ追放を巡り、無神論論争が起こった。このときヤコービはフィヒテと思想を異にしつつも、不当な追放を非難し、フィヒテを弁護した。なお、このやり取りの中でフィヒテの考えがニヒリズム(Nihilismus)であるということを指摘した。ドイツ語でのこれが、ニヒリズムという用語の哲学的な使用としての起源である、というのが通説である。因みに、1733年にFriedrich Lebrecht Goetzがこの語をラテン語で原子論批判の文脈で既に用いている。 ヤコービによれば、絶対的な自我からすべてを導出しようと試みるフィヒテの一元論的体系は、自我のほかに実在性の根拠を持たない。ヤコービはここから自我の無根拠性を見てとり、無の上に自我の有を接合するフィヒテの思想を「キメラ主義」ないしは、「無を意志する無」のみを根源とする「ニヒリズム」であると規定した。 ヤコービにとって、それはまた、絶対的実体の一元論を主張するスピノザ主義と変わるところがない。スピノザ主義もまたその意味で「ニヒリズム」であり、フィヒテ主義は「転倒したスピノザ主義」にほかならない(ヤコービの思考法によればそれは「無神論」と同じ意味である)。これらの論理的体系が帰結するところの空虚さを克服するためには、ヤコービ曰く、「飛躍」によって「信仰の立場」に立つよりほかはないのである。 1799年「フィヒテ宛書簡」参照。
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