神の使徒について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:35 UTC 版)
ムスハフの神の啓示では、預言者について、「預言者は警告者にすぎない」とする見解から、それとは対極的な、預言者をもってこれを神の代理人とするという見解までに及んでいる。神の代理人とは、聖俗一致とされるイスラームにおいては、実質的には、この世の王でもある、という立場になるとされる。また、それと関連したこととして、もはや、この世界が終わるまで、神は預言者を送らないとする、という見解がある。しかし、それとは反対に、預言者の生まれる日は、引き続き、100年に一度くらいは、やってくるという見解も、啓示されている。 天使たちと聖霊は、主のお許しを得て、すべての神命をもって聖断の夜に降臨することが啓示されている。それは、一年に一度あるとされている。また、「聖断の夜」に該当する「その、一日」は、「1000の月」に勝るところの聖なる価値があるとされている。この啓示は、神が、地上に預言者を召し出すこととなったその「価値ある一日」は、「1000の月以上の歳月」に等しい聖なる価値がある、という啓示である。 最初期においては、後にアラビアの王となったムハンマドに警告するかのように、汝は一人の警告者にほかならない、アラビア人の支配者ではないのだ、というメッセージが下されている。神にとって、神の使徒とは、警告者であって、支配者ではないとされている(88章21)。その啓示の意味は、万物を作られた神の力は、生成消滅してゆく自然の営みの中に神の力は見いだせるものであり、その神の力を「教える」のがムハンマドの使命であるとされている。 メディナ期の啓示で、多神教徒はただ不浄のみ(9章28節)と見なす啓示は、清浄にはなれないから、彼らには、警告者を送っても意味はないということを示している。また、およそ預言者たるものは、敵を十分殺しつくした後でないと、捕虜など取るものではない、という啓示からは、神の敵である多神教徒には、警告が必要でないことを示している。また、神が、彼らを生かしておく価値はない、ということを示している。 モーセやイエスの時代と、メッカ時代のムハンマドの時代における、「預言者」としての位置は、同じような位置にあったといえる。しかし、メディナ期になると、信徒に対する彼の命令は、ほとんど神の命令と同等の権威をもつようになった。信者が、彼の言いつけに背くことは、神に背くことであるとされた。そのように、メディナ期においてムハンマドの地位は、異常に高くなったとされている。 ムハンマドが支配者の地位に近づくにつれて、神は、今後預言者は出さない、ムハンマドが「最後の使徒である」、という啓示が下された。
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