神の像と肖・自由意志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 09:15 UTC 版)
詳細は「神の像と肖」を参照 神の像と肖とは、正教会の「人間とは『神のイコン(像)』である」とする人間観の基礎となっている重要な概念である。旧約聖書の創世記1章26節・27節において、神は自身の「像」と「肖」に従って人を創造したとされる記述があることが基になっている。 表信者聖マクシモス(マクシム)によれば、像とは人間の創られたままのかたちを指し、肖とは、創られた人間が神の力と働きにあずかり、神との交わりの中に生きる過程を言うとされる。 正教会は「神の像は昏昧(こんまい)したのであって絶滅したのではない」「肖は失われたが像は失われていない」と主張する。また人間の誰もがハリストス(キリスト)の救いに手を差し伸べる自由意志を保持しているとする。 西方教会(カトリック教会、聖公会、プロテスタント)が前提とする原罪理解、プロテスタントの多くに受け入れられる全的堕落説、および、自由意志は人間の堕落の結果失われたとするアウグスティヌスの主張に対し、正教は同意しない。そのため、これらの西方における基本概念を基に行われたペラギウス論争などに対する正教会の態度も、西方教会とは必然的に異なるものになる(後述)。
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