神の不可視性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:02 UTC 版)
スンナ派のムスリムは、神は見ることはできないと信じている。仮に神の姿を見ることができるのであれば、自らの生涯の終わりを意味する死後に訪れる最後の審判の日のみであると信じている。 クルアーンの記述 その日(審判の日)には明るく輝く顔また顔、(さも嬉しげに)主を仰ぎ見る — 第75章第22から23節、 いや、いや、あの日〔審判の日〕には、主の御顔も拝されまいぞ — 第83章第15節、 ハディースの記述。アブー・フライラは、人々とムハンマドの対話を以下のように記述している。 (人々)「われわれは、復活の日に神を見ることができるでしょうか?」 (預言者)「あなたがたは、満月の時に、月が見ることができないことで何か問題がありますか?」 (人々)「いいえ、そういうことはございませんが」 (預言者)「それでは、雲が何一つ無いときに、太陽を見ることができないことで、何か問題がありますか?」 (人々)「預言者よ、それも問題はございません」 (預言者)「ほんとうに、あなた方が神を見ようとすることは(あなた方が太陽や月を見るような)ことですよ」
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