白樺派と手賀沼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 08:09 UTC 版)
白樺文学館は、千葉県我孫子市緑の旧志賀直哉邸跡地前に、2001年(平成13年)1月に白樺派の作品を広く公開するために建設された文学館である。 コンセプト立案者および初代館長は武田康弘。日本オラクル初代社長の佐野力が創設し、2009年に千葉県我孫子市が運営を引き継いだ。白樺派のほか柳宗悦が始めた民芸運動についての資料を所蔵・展示する。 我孫子市にある手賀沼の北岸は当時は農村地帯であったが、我孫子駅の開業で東京から交通の便が良くなり、別荘地として人気が出つつあった。柳宗悦・柳兼子夫妻が1914年(大正3年)4月、宗悦の叔父である嘉納治五郎(柔道家)の別荘向かいに引っ越し、庭にあった3本の椎にちなんで嘉納が「三樹荘」と命名。柳夫妻に誘われる形で『白樺』同人達が続いた。志賀直哉夫妻は1915年(大正4年)に移り住んだ。直哉は当時、父との不和に悩み、愛児が夭逝する不幸もあったが、ここで創作意欲を回復させ『城の崎にて』『和解』『小僧の神様』や『暗夜行路』(前篇のみ)を執筆した。さらに1916年(大正5年)には武者小路実篤実篤も居を構え、彼らとの交流から1917年(大正6年)英国人陶芸家バーナード・リーチが三樹荘裏に窯を築いた。直哉が京都へ転居した1923年(大正12年)を最後に各作家の居所は散り散りになるが、彼らの濃密な交流や東京からの文化人の来訪により、手賀沼北畔は白樺派や民芸運動の拠点となった。 我孫子市は、白樺文学館の運営を引き継いだほか、文学館や白樺派作家の別荘跡前を結ぶハケ(崖)下の道を「白樺派の小径(こみち)」と命名している。また宅地開発されそうになった志賀直哉邸跡を購入して書斎を移築した。
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