西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争の意味・解説 

西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:57 UTC 版)

中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争」の解説

この時代宗教意識国家意識の問題の上で、興味深いのが西ゴート王国起こったヘルメネギルド反乱事件を巡る当時歴史叙述における相違である。前述したように、レオヴィギルド王の治世下に王の第一子ヘルメネギルドカトリック改宗しアリウス派であった父に対し陰謀企てた。 これについて、トゥールのグレゴリウス教皇グレゴリウス1世仔細に記述し、この事件をのちのレカレド王の改宗に至る前史的な出来事として特筆した。これに対しセビリャのイシドールスの『ゴート史』やゴート人ヨハンネスによる『年代記』など、西ゴート王国書かれ史料はこの事件にほとんど注目していない。ここに西ゴート王国内部外部明確な意識違いを見ることができる。さらにレオヴィギルドについて、後者ヒスパニア史料この君主を政治的軍事的統一西ゴート王国もたらした英主として描くのに対し教皇グレゴリウス1世は「異端者子殺し」と呼んでおり、相違見られるグレゴリウス1世はレオヴィギルドが臨終に際してカトリック改宗したことを記して彼に好意を示すもののその叙述護教的である。一方トゥールのグレゴリウスグレゴリウス1世とは異なり、レオヴィギルドの政治的手腕高く評価し、その視点ヒスパニア史家に近い。 この違いレカレド王の改宗を巡る記述にも見られ、このことは同じ西ゴート王国外部者という立場に立つ両者であるが、部族国家内部生きるトゥールのグレゴリウスと、ローマでビザンツ帝国影響下に生きる教皇グレゴリウス1世思想状況違い示している。 [先頭へ戻る]

※この「西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争」の解説は、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の解説の一部です。
「西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争」を含む「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事については、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争」の関連用語

西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西ゴート王国のカトリック改宗をめぐって戦争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中世ヨーロッパにおける教会と国家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS