西サクソン遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 02:00 UTC 版)
「ペンダ (マーシア王)」の記事における「西サクソン遠征」の解説
マザーフィールドの敗戦でノーサンブリアは国力が減退、外交面として西サクソンへの影響力を失い、結果として西サクソンがマーシアへと接近する事を阻止できなくなった。この経緯から西サクソンの王チェンワルフはペンダの姉妹と結婚するが、ベーダによると、チェンワルフがこの妻を退け、別の妻を娶ったらしい。そしてペンダは645年西サクソンへと進攻、チェンワルフを東アングルへと亡命させた。チェンワルフの亡命は3年に及んだと言う。 恐らくはペンダに従順な誰かであろうが、チェンワルフを追い出した後に誰が王のいない西サクソンを統治したのかは分かっていない。また記録ではチェンワルフの亡命期間は3年と書かれているものの、チェンワルフはペンダが655年に死ぬまで西サクソンへと戻る事ができなかったのではとも考えられている。
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