西ゴートの伝統、イベリア半島諸国とは? わかりやすく解説

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西ゴートの伝統、イベリア半島諸国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:57 UTC 版)

中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「西ゴートの伝統、イベリア半島諸国」の解説

キリスト教諸国レオン王国カスティーリャ伯領ナバーラ王国アラゴン伯領|カタルーニャ君主国 イスラム教タイファ諸国アルコス|アルバラチン|アルプエンテ|アルヘシラスアルメリアウエルバカルモナグラナダコルドバサラゴサ|サンタ・マリア・デル・アルガルベ|シルヴェスセビーリャデニアトルトサトレド|ニエブラ|バダホスバレンシアマラガマロンムルシアメルトラロンダ 711年西ゴート王国滅亡して後、イベリア半島はそのほとんどがイスラム教徒によって支配された。イスラム教徒支配下では税を支払代わりに西ゴート式の独自の典礼維持したキリスト教徒たちがおり、彼らは「モサラベ」と呼ばれた一方北部中心にキリスト教国が残存していたが、その中で山岳地帯位置したアストゥリアス王国は最も積極的にイスラーム諸国対抗したアルフォンソ2世治世後半にはアル・アンダルスから移住してきたモサラベ建言を容れて、西ゴート方式宗教儀式部分的に採用し西ゴート王に連なる家系図を作らせ、アストゥリアス西ゴート王国継承者であるという「新ゴート主義」が成立したアルフォンソ3世時代になると、植民活動活発化させ、教会堂建設事業積極的に行うなどキリスト教布教にも力を注いでいる。つづくガルシア1世時代王国首都レオン移し王国レオン王国呼ばれるようになった。レオン・ガリシア・アストゥリアスはそれぞれ別の王を戴きつつ、レオンガルシア1世がそれらをまとめて緩やかな連合形成した一方同時期のイスパニア辺境弱小国家集まりであり、イスラム教国対抗することなど不可能で、アル・アンダルスとは友好的あるいは従属的な関係を結んでいた。ナバラ王国もその点は全く同様で、イスラム教国対し友好的従属的地位とどまっていた。アラゴン伯領もいまだレコンキスタ精神からはほど遠い状態にあった一方アル・アンダルスでは、後ウマイヤ朝アブド・アッラフマーン3世ハカム2世宮廷北部キリスト教のみならず遠くビザンツ帝国神聖ローマ帝国からも使節迎えナバラ王国レオン王国遠征してこれを屈伏させた。 11世紀にはいると、サンチョ3世の下でナバラ王国台頭した。王は巧み婚姻政策カスティーリャ伯領レオン王国などの周辺キリスト教国を併合し、「イスパニア皇帝」を自称した。その息子カスティーリャ王国相続したフェルナンド1世レオン王国併合カスティーリャ=レオン王国)すると、南へ遠征し後ウマイヤ朝滅亡後アル・アンダルス割拠したタイファ諸国攻撃して金による貢納パリア)を求めた。しかし貢納金を支払わせるということは逆にフェルナンドをしてこれらタイファ国を保護する義務生じさせるものでもあった。フェルナンドとその息子サンチョ2世タイファ国の救援要請受けて、これを攻めたキリスト教国と干戈を交えている。フェルナンド晩年はいくつかのアル・アンダルス都市征服するなど「レコンキスタ」的な行動が見られたが、同じキリスト教奉ずる国々との戦争頻繁に行われており、このころ軍事行動宗教的動機離れて行われていたことは注目に値する11世紀にはサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼地として知られるようになり、フランス人巡礼者引き付けるようになったフランス人クリュニー修道院改革精神スペインもたらしたクリュニー王権から寄進受けてスペイン各地修道院獲得し、さらに新たな征服地の司牧任せられるようになった例えアルフォンソ6世トレド攻略すると、トレド大司教クリュニー派のベルナール (en:Bernard de Sedirac) に任せた一方で改革派教皇はその首位権イベリア半島及ぼそうとし、「コンスタンティヌスの寄進状」を持ち出して西ローマ帝国故地教皇捧げられていると主張した。これはカスティーリャ王国の「新ゴート主義」とは基本的に相容れないものであったグレゴリウス7世イベリア半島首位権主張した時、アルフォンソは「イスパニア皇帝」あるいは「トレド皇帝」を自称して牽制した。アルフォンソクリュニー多大な寄進をすることで教皇権対す防壁としてクリュニー利用しようとした。アルフォンソ他方教皇クリュニー要求していた、モサラベ式典礼からローマ式典礼へ移行には応えイスパニア教会改革実施した。これによってイスパニア教会が独自の典礼捨てローマへ一致する道は確定されイスパニア教会史一つ画期訪れた。だが、1090年レオン教会会議西ゴート書体使用禁止されカロリング書体義務づけられたにもかかわらずアルフォンソ西ゴート書体使い続けた。 [先頭へ戻る]

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