西ゴート族との戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 23:21 UTC 版)
北アフリカでの壊滅的な敗北の後、アンテミウス帝はガリア再征服に方針転換した。野心的なエウリック王を頂く西ゴート族は西帝国の政治的な不安定を付いてその領土を蚕食していた。エウリック王の勢力圏はガリアの帝国領の幾つかを本土から分断していた。南ガリアのアレラーテ(現在のアルル)とマルセイユは依然として帝国の統治下にあったが、アヴェニア(現在のクレルモン=フェラン)は孤立化して廃帝アウィトゥスの子のエクディキウス(英語版)が支配しており、後にソワソン管区と呼ばれる帝国残存地域はさらに北方にあった。 470年、アンテミウス帝はエウリックと戦うためにアルモリカ(ブルターニュ半島)に住むブルトン族を雇い入れた。当初、ブルトン王リオタムス(英語版)の2万人の軍勢はブールジュの占領に成功した。だが、西ゴート族領域の中心部に攻め込みデオル(英語版)の町を攻略しようとしたとき、ブリトン族は西ゴート族の大軍と戦い敗北した。リオタムスはローマの同盟部族であったブルグント族の元へと逃れた。 このため、アンテミウス帝は西ゴート族を直接攻撃することに決めた。彼は皇子アンテミオルゥス(英語版)を名目上の司令官とし、トリサリウス将軍、エヴェルディンゴス将軍そしてヘルミアヌゥス将軍に軍を召集させた。アンテミオルゥスの軍はアレラーテを出立してローヌ川を渡ったが、ここでエウリックの西ゴート軍に迎え撃たれた。西ローマ軍は敗北して、将軍たちは戦死し、周辺地域は略奪された。
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