レカレド王の改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 07:39 UTC 版)
当時のゲルマン人の集団改宗は近代的な個人の信仰心のあり方と同列に論じることはできない。3世紀までのキリスト教への改宗は、使徒や宣教者の超自然的能力に対する驚きや感嘆、あるいは殉教の目撃という個人的体験に基づいて行われていたのに対し4世紀以降の改宗は崇敬感情よりも政治的熟慮のほうが勝っており、宣教活動は支配者を対象として行われた。また西ゴート王国は改宗以前に、被支配民であるローマ系住民はカトリック、支配者であるゴート族はアリウス派からカトリックへの改宗が進んでおり、両者のアイデンティティーの統合は進みつつあった。レカレド王は改宗後に徹底的なアリウス派根絶に努めており、それにより王を中心とする政治的宗教的統一体形成の基盤をなしたという見方もある。
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