個人の信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 05:20 UTC 版)
公共の儀式に見られる神々への信仰に加え、個々の人々はそれぞれ個人的な神(a personal deity)に敬意を払っていた。他の神々と同様個人的な神々も時とともに性格を変え、また名前が与えられたり描写されることも稀なので初期の実情に関しては不明な点が多い。紀元前3千年紀の中ごろ、何人かの支配者は特定の神、あるいは神々を個人的な守護神としていた。紀元前2千年紀には個人的な神が大衆によりそったものとなった。すなわち個人的な神との関係は祈りとその神の彫像を慈しむ行為によってはぐくまれるとされており、より緊密な関係を築いたもののために機能するようになった。古代メソポタミアのいくつもの祈りの詩が資料として今日まで残っており、それぞれの祈りには特定の神を特別に賞揚する内容が見られる。歴史家のボッテロ(J. Bottéro)はこれらの詩は、深い尊敬の念と帰依の心、そして超自然的な存在によって古代の信徒の心に喚起された圧倒的な感情を表している、と述べている。一方でこれらの詩からは、手放しに神々を褒め称えているというよりもむしろ、畏れを含んだ感情を読み取ることができる。個人の幸運、病気や悪魔からの守護、そして社会的成功、才能や個性までもが彼らの個人的な神に左右されると考えられていた。さらに踏み込んで個人の経験するすべては彼の個人的な神の身に起こったことの反映であるとさえ考えられた。もしも個人的な神をないがしろにすれば悪魔は自由にその人に近づき危害を加える。一方で敬意を払えば彼を良く導く指導者となると考えられた。 メソポタミアでは悪魔の存在が信じられており、それらを退けるために庶民の間でもおまじない(šiptu)が行われていた。実際にはシュメール語にもアッカド語にも「悪魔」を表す一般名詞は存在せず、害をなす者、危険な者、あるいは力とだけ言及され、そして世界に「悪意」が存在するということを説明する手段として用いられる。悪魔は無数に存在し、神々をも攻撃の対象とすると考えられていた。悪魔とは別に死者の霊(etimmu)の存在も広く信じられており、いたずらをする存在として見られていた。そのためお守りが存在し、時には霊のいたずらに対しエクソシスト(āšipuあるいはmašmašu)が呼ばれることもあった。病気は悪魔に原因があると考えられ、おまじないや儀式が、ときには類感呪術が治療のために行われた。悪魔の像を用いて捕縛するという試みも行われていた。患者の頭の上に悪魔の像を置く。すると悪魔は像の方へ移ると考えられており、儀式の後に像が破壊された。守護精霊の像も作られており災厄を退けるために門に飾られた。 占いもまた庶民の間で広く行われていた。メソポタミアでは運命は神々によってすでに定められており、予兆の観察や占いにより運命を確かめることができると考えられていた。神々は口述に拠らない形での「言葉」(amatu)や「命令」(qibitu)により彼らの意思を伝えるものとされ、それらは出来事や事件に向かう一連の流れのなかに現れるものと考えられていた。占いには様々な手段が用いられた。水に浮かぶ油を読む占い(lecanomancy)、生贄の内臓を読む占い(extispicy)、鳥の振る舞いを読む占い(augury)、天体的な自然現象を読む占い(占星術、astrology)、夢を読む占い(夢占い)などが例として挙げられる。これらの占いには2種類の神官が携わった。すなわち質問者(sa'ilu)と観察者(baru)である。彼らより身分の低い神官であるマフ(mahhu、恍惚状態で言葉を伝える)が関わることもあり、これには魔術が用いられていた。
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