家族の墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 16:54 UTC 版)
今日ではあまり馴染みのないことであるが、アメリカの植民時代には家族としての墓地という形式も、当時の生活様式の中ではごく自然のことであった。共同墓地や宗教的な墓地というものがまだ根付かなかった時代、植民者たちは土地を見つけて、普通自分たちの住む土地に隣接した木立の中に家族の墓地を作った。時には複数の家族が自分たちの亡くなった家族を一緒に埋葬した。こうした場所がその後大きくなって墓地の形態をなしていく。しかし、一家の家系が途絶えたり、他の地に移動したりするとそうした墓地は忘れられていく。辺地の過疎化し、廃村となったような村のはずれの墓地には同様のケースが見られる。 もっと近代になってからも、大きな地所をもった一族の中には自分たちの敷地内に霊廟や遺骨安置所のようなものを立てているケースもなくはない。フォーリングウォーターの遺骨安置所は、その最たる例である。ただ今日では、遺体を埋葬するに当たっても、さまざまな法律の規制がかかるようになり、私有地だからといってもおいそれと埋葬するわけにはいかない。たとえ不可能ではないにせよ、家族だけの墓地を自分たちの敷地であったとしても、なかなか厳しくなってきた。
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