日本の埋葬の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:11 UTC 版)
日本では旧石器時代に北海道美利河1遺跡や湯の里遺跡の土坑など墓の可能性ある遺構が数例発見されている。 つづく縄文時代から埋葬行為が確認されている。集落内や貝塚などに墓域が設けられ、死者は土坑墓や土器棺墓、石棺墓など土葬により埋葬されるのが一般的で、火葬や再葬が行われている例も確認されている。遺体の手足を折り曲げる屈葬と手足を伸ばした伸展葬の二形態があり、この時代では屈葬が主流であった。また、住居の内外に見られる深鉢形土器を埋納した特殊な施設である埋甕は乳幼児の墓(または胞衣壺)である可能性も考えられている。縄文後期・晩期の東日本では、伸展葬や配石墓、再葬など多くの変化見られるようになる。また、環状列石などの配石遺構に造られた墓や周堤墓などがある。 弥生時代に入ると、北九州を中心に甕棺と呼ばれる大きな甕に埋葬する例が確認できるほか、再葬墓と呼ばれる、いったん死者を地下に埋葬した後、白骨化した後に骨壺に収める例が確認されている。古墳時代にはいると、権力者は古墳と呼ばれる大型の墳墓に埋葬されるようになるが、庶民の埋葬については不明である。 奈良時代になると、仏教の影響から火葬墓が増えるが、庶民は絵巻物などの記述から、河原や道端に遺棄されたと見られる。 古代から中世にかけては、穢れの思想が強く、貴人の墓地管理も疎かであった。近世になると、庶民も墓を設け、先祖の供養をする。現在はほとんどの死者は火葬され、一族や家族の墓地に葬られる。一方で墓友という語や、都市部に於いてはロッカー式の墓地なども出現している。
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