配石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 08:38 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動配石(はいせき)、または配石遺構(はいせきいこう)とは、考古学において、表面の滑らかな河原石などの自然石を、地表面に目的をもって配置したり、組合せたりして構築した遺構を指す語である。ピラミッドのような石組みの建造物はふつう含まれない。
概要
配石遺構の形態には様々なものがあり、その性格も集落内の土地区画など日常生活に関わる標識から、埋葬や祭祀・信仰に関わるものまで多岐にわたると考えられている[3]。単独のものは組石(くみいし)とも呼ぶ。
配石遺構の内、石を列状に配置したものを列石(れっせき)と呼び、円形(環状)に配置させるものを環状配石や環状列石(かんじょうれっせき、いわゆるストーンサークル)と呼ぶ。長大な石を垂直に立てた立石(りっせき)をともなう場合もある。河原石や礫を土坑(墓穴)の中や外に配置した埋葬施設を特に配石墓(はいせきぼ)と呼ぶ[4]。また日本の縄文時代後期に見られる住居形態の一種で、床面に平たい石を敷き詰めるように配石したものは敷石住居(しきいしじゅうきょ)と呼ばれる。
ヨーロッパには、巨石を並べた配石遺跡である巨石記念物があり、ストーンヘンジなどはその代表例である。
日本では、縄文時代の近畿地方東辺部以東の東日本を中心に配石遺構がみられるようになり、同時代前期に顕著となり、中期には急増する。前期末から中期・後期前半までのものでは、配石の下に土壙墓を伴わないものがみられるが、後期以降は土壙墓を伴う例が増加する[5]。環状列石を伴う著名な遺跡には、秋田県鹿角市の大湯環状列石や青森県青森市の小牧野遺跡、秋田県北秋田市の伊勢堂岱遺跡があり、これらはいずれも縄文時代後期の遺跡である。また、石材資源の豊富な中部地方の山麓地域においても盛んに作られる。
脚注
- ^ 下城 & 女屋 1988.
- ^ 現地案内板より。
- ^ 斎藤 2004, p. 452.
- ^ 斎藤 2004, pp. 452–453.
- ^ 江坂, 芹沢 & 坂詰 2005, p. 424.
参考文献
- 下城, 正、女屋, 和志雄『深沢遺跡/前田原遺跡』68〈財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書〉、1988年3月30日。NCID BN03023959。
- 斎藤, 忠「配石遺構」『改訂新版日本考古学用語辞典』学生社、2004年9月20日、452頁。 ISBN 4311750331。 NCID BA68729429。
- 江坂, 輝弥、芹沢, 長介、坂詰, 秀一「環状列石」『新日本考古学小辞典』ニュー・サイエンス社、2005年5月20日、424頁。 ISBN 9784821606146。 NCID BA72195827。
関連項目
配石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 16:02 UTC 版)
被熱痕跡のない関係の礫が一定の範囲に分布している状態。基準は明瞭ではないが、多くの場合、礫群に使用されるより大型の礫が、密集せずに分布しているものを指すことが多い。東京都東久留米市自由学園南遺跡や、神奈川県藤沢市南葛野遺跡など後期旧石器時代後半期の前半、武蔵野台地における立川ローム層Ⅴ層~Ⅳ下層(相模野台地B2L中~上部)では、複数の磨石がまとまって出土した事例が報告されている。神奈川県相模原市田名向原遺跡では、炉跡、柱穴を伴う円形の配石が住居跡の構成要素の一部として認められた。類似の、円形の配石と炉跡の組み合わせは、神奈川県相模原市小保戸遺跡(こほといせき)でも確認されている。
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