小牧野遺跡とは? わかりやすく解説

小牧野遺跡

名称: 小牧野遺跡
ふりがな こまきのいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 青森県
市区町村 青森市大字野沢
管理団体 青森市(平8・1113)
指定年月日 1995.03.17(平成7.03.17)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成13.08.13
解説文: 小牧野遺跡は、八甲田連峰から北に伸びた細長い丘陵先端部に位置し北方10キロメートルあまりに青森市街、さらに陸奥湾低く広がっている。遺跡は、基盤八甲田火砕流月見野火山灰などが覆った標高145メートル平坦地上にあり、東は急崖となって50メートル下には荒川、西には入内川流れている。
 平成元年かねてより環状列石存在予測していた青森山田高校葛西励らがその実解明目的発掘調査した。その結果縄文時代後期前半構築され環状列石の西半を確認した翌年からは青森市教育委員会が、遺跡範囲性格など確認するための調査引き継いだ
 環状列石のある台地は、西から東に緩く傾斜している。西の高い方を削って内側湾曲する低く緩い崖面を作り削り取った土を東の低い方に盛って中央円形平坦地をもつ地形造成した。中央の平坦地固く踏み固め、その中央長さ1・5メートルの石を置き、周囲に石を径約3メートル環状配した中央の平坦地からは、ほとんど遺物発見されていない。ここを取り巻くやや高い部分東西と南がやや張り出す円形二重の列石巡らした外帯は径約35メートル内帯は径約29メートルにも及ぶ。この列石の南と北には、径約2メートル円形密集した配石や径約4メートルから6メートル環状配石を数基ずつ築いている。列石は、東下方に向いた西側内面細長い大きな石を縦にその間扁平な石を石垣状に3個から6個高く積み重ねている。西も東下方に面した外側比較丁寧に築いている。外帯内帯の間には、赤色顔料塗られ十腰内Ⅰ式土器特有な甕棺用土器を、北、西、東の3か所に各1個体埋設していた。また、角状あるいは髭状と称される直線的な列石が、外帯の南から10メートルあまり、東と西側から8メートルほど外に向かって延びる。列石配石用いた石は、径60センチメートルほどの円礫あるいは亜円礫であり、石質は8割以上が安山岩小数石英安山岩まじえる。約2,000個ほどを遺跡の東を流れ荒川から運搬した
環状列石の外、北から東には堀立建物群があり、やや間を置いてその外に土壙墓群を弧状配している。一方、西には、土分布している。この区域からは深鉢形土器浅鉢形土器、台付鉢形土器壷形土器注口土器などの多量十腰内Ⅰ式土器発見し赤色顔料塗布しているものも多い。また、石鏃石槍石錐磨製石斧などの石器と、ほかに土偶、鐸形土製品三角形岩版ミニアチュア土器など、祭祀関連するとされる遺物も目立つ。環状列石周囲からは竪穴住居確認されていない一方周辺には縄文時代遺跡散在するが、本遺跡との関連不明である。なお、環状列石の南の外方からは続縄文時代配石土器・石器などが出土しこれまで本州側では断片的にしか把握されていなかった続縄文時代良好な資料得た
遺跡は、特徴的な形態をもった縄文時代後期前半環状列石中心としており、縄文時代精神生活社会構造考え上でも、大規模な土地造成多量大形の石の運搬設置などの土木工事実態などを正しく知る上できわめて重要である。よって史跡指定し、その保存図ろうとするものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  小浜藩台場跡  小瀬ヶ沢洞窟  小牧山  小牧野遺跡  小田原城跡  小田城跡  小田良古墳

小牧野遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 07:57 UTC 版)

小牧野遺跡
環状列石の全体像
青森県における位置
所在地 青森県青森市野沢字小牧野
座標 北緯40度44分15.0秒 東経140度43分41.4秒 / 北緯40.737500度 東経140.728167度 / 40.737500; 140.728167座標: 北緯40度44分15.0秒 東経140度43分41.4秒 / 北緯40.737500度 東経140.728167度 / 40.737500; 140.728167
種類 遺跡
歴史
時代 縄文時代
文化財指定 国の史跡(1995年3月指定)

小牧野遺跡(こまきのいせき)は、青森県青森市にある縄文時代後期前半の遺跡。所在地は青森市野沢字小牧野。三内丸山遺跡の南およそ8kmの場所 に位置する。1995年平成7年)3月17日国の史跡に指定された。2021年令和3年)、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された。2015年(平成27年)5月3日に約1.5km離れたところにある旧青森市立野沢小学校2012年(平成24年)3月に閉校)を改修し、「青森市小牧野遺跡保護センター」(愛称:縄文の学び舎・小牧野館)が開設された[1][2]

概要

小牧野遺跡は、荒川と入内川に挟まれた台地上、標高145m付近のところにある。遺跡は古くからその存在が知られてはいたが、長い間調査はされていなかった。しかし1980年代前半、当時青森山田高等学校に勤務していた葛西励が発掘調査を実施。続縄文時代の遺物を発掘し、遺跡としての認知度が上がる。その後、青森市教育委員会が1985年昭和60年)に高田村史の編纂のために発掘調査を実施し、土器などを発掘。そして、1989年平成元年)には青森山田高等学校の考古学研究会(顧問:葛西励、高橋潤)が環状列石を発掘し、青森市の有名な遺跡の一つとなる。1990年(平成2年)から青森市教育委員会が調査を受け継ぎ、竪穴建物跡、湧水遺構、当時の墓、道路状遺構などを発掘した[3]

遺跡の概要

環状列石

環状列石の中心部

直径2.5mの中央帯、直径29mの内帯、直径35.5mの外帯の三重の輪のほか、さらに外側に、一部四重となる弧状列石や、直線状列石、直径4mの環状列石などがあり、直径は55mにもおよぶ。

荒川から運んだと推測された石を、縦に置き、さらにその両脇に平らな石を横に数段積み重ね、さらにその脇に縦に石を置いて環状に並べて、そうして出来た環をさらに三重(一部四重)にしている。この並べ方は石垣の積み方に類似する煩雑な並べ方からも全国的にも非常に珍しく、「小牧野式」と呼ばれている。

配石の中に大型壺形土器(甕棺;かめかん)もみられる。

なお、北にある三内丸山遺跡でも同様の遺構が確認されているため、何らかの関連を示唆する声もある。

土器・石器

土坑墓周辺から大量の土器が発掘されている。また続縄文文化(北海道を中心に栄えた続縄文時代に基づく文化)に属すると思われる土器も見つかっている。特徴的なものとしては祭祀に使われたと思われる三角形岩版や円形岩版がある。

湧水遺構

地元に「竜神様が出る泉がある」や「人が泉に水を飲みに行ったところ大蛇に食われてしまった」などといった伝説が伝わっていたため、調査したところ発見された。今もなお水が湧き出ている。

墓石らしきものが存在するものもあるが、墓ごとにそれぞれ異なり、個性的な墓が多い。墓道の斜面の上部には環状列石があり、縄文時代であってもすでに身分制度があったのではないかという指摘もある。

柱穴

遺跡からは柱の跡と見られる穴が見つかっている。そのため、ここに何らかの建物が存在していたと推測される。

交通

出典

  1. ^ “縄文時代知ろう、2施設オープン あす小牧野遺跡”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 青森全県版. (2015年5月2日) 
  2. ^ 北海道・北東北の縄文遺跡群 まるごとナビ2022”. 縄文遺跡群世界遺産本部(三内丸山遺跡センター世界文化遺産課内). 2024年12月1日閲覧。
  3. ^ 遠藤正夫他 編著「小牧野遺跡発掘調査報告書」『青森市埋蔵文化財調査報告書』30、青森市教育委員会、1996年。

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小牧野遺跡」の関連用語

小牧野遺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小牧野遺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小牧野遺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS