丹後平古墳群とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 丹後平古墳群の意味・解説 

丹後平古墳群

名称: 丹後平古墳群
ふりがな たんごたいこふんぐん
種別 史跡
種別2:
都道府県 青森県
市区町村 八戸市大字根城
管理団体
指定年月日 1999.01.14(平成11.01.14)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 丹後平古墳群は,7世紀復業から8世紀前葉にかけて形成され総数100前後推測される古墳群である。古墳群所在する八戸市は,太平洋面する青森県東部でも,岩手県との県爵に近い南端部に位置する。丹後平古墳群は,馬淵川南岸にあるなだらかな丘陵中に立地する地域振興整備公団による「八戸新都市開発八戸ニュータウン)」区域内で新たに発見され昭和6263年度の発振調査により重要な成果がえら
れたため,事業計画変更し主要な中心部分約7,000Ⅰぜについて保存図られた。
昭和6263年度に全面調査され29基についての調査成果与ると,古墳の概要次のとおりである。古墳はいずれ直径4~9mほどの円墳である。埋葬施設はすべて木棺直葬したものであるが,をおさめる土坑の手前に横穴式石室羨道部に由来する思われる通路状の張り出しをもつものが多い。木棺土坑そのままおさめるもののほか,床に礫を敷くもの4基、木炭を敷くもの5基がある。墳丘周溝に供献された土師器須恵器のほか,132個の勾玉など約用18,00個の玉類や,鉄製・錫製の釧などの装身具環頭大刀の把頭,方頭大刀蕨手刀馬具などが,主として埋葬施設から出土している.墳丘規模大き15号墳から出土した金銅製の獅噛式三累環頭大刀の把頭は,獅噛環頭と三累環頭とを組み合わせた類例のないもので,6世紀前半から中頃の朝半島製品考えられている。また、古墳周辺には29基の土坑墓があり,そのなかに馬を埋葬した土坑1基,関東類例のある地下土坑墓1基があって,古墳群被葬者像考え上で興味深い
東北北部においては岩手県南部胆沢町角塚古墳などの例外的な存在はあるが,6世紀までに古墳波及することは基本的になかった。これは弥生時代以降稲作定着した東北南部以南と,一定期間定着認められるものの継続以北との間に生じた歴史的な歩み大きな相違が,そのまま引き継がれたものである。しかし,こうした東北北部においても, 7世紀復業以降,8~9世紀代を中心として群集墳築かれていく。その背景には,7世紀中頃から,城柵築いて軍事的介入含め東北北部律令支配下におこうとする古代国家活動がある。東北北部群集墳築造は,こうした活動活発化にともない律令制下人々接触することのあった在地勢力が,東北以南墓制採用するいたったものと考えられる
その意味で,東北北部群集墳は,日本における異文化間の交流という重要な歴史的課題にかかわる素材となる。本州北端部に位置し,しかも
古墳群であることから,きわめて重要である。よって,史跡指定し保存図ろうとするものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  丸山古墳  丸岡藩砲台跡  丹後国分寺跡  丹後平古墳群  丹波国分寺跡  丹生都比売神社境内  丹田古墳

丹後平古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 15:41 UTC 版)

丹後平古墳群
所在地 青森県八戸市根城字丹後平
位置 北緯40度28分52.0秒 東経141度28分1.2秒 / 北緯40.481111度 東経141.467000度 / 40.481111; 141.467000
形状 末期古墳
規模 100基以上
築造時期 7世紀後半から9世紀後半
史跡 1999年(平成11年)1月14日国指定[1]
有形文化財 出土品195点。2018年(平成30年)10月31日国指定[2]
地図
丹後平
古墳群
青森県内の位置
テンプレートを表示

丹後平古墳群(たんごたいこふんぐん)は、青森県八戸市にある7世紀後半から9世紀後半のものと考えられる古墳群。国の史跡[1]。出土品は国の重要文化財[2]

概要

八戸市から南西に少し離れた標高90~100メートルの尾根に分布している。南側から丹後平三遺跡・丹後平古墳群・丹後平一遺跡があり、群集した円墳群。円墳以外に、周溝を伴わない土坑墓や地下式土坑墓があり、馬の埋葬墓もあった。

およそ100基以上の末期古墳が存在すると思われ、そのうち85基が確認されている。大きさは、ほとんどが、全長約5メートル程度で、最大のものは15号墳の全長9メートルである。

副葬品では、武器類(直刀蕨手刀刀子)、装身具類(玉・釧・耳環)などで、周溝からは、土器類(土師器須恵器)や武器類、生産用具(紡錘車砥石)、装身具類、和同開珎などがあり、最も多かったのは土器類であった。

出土した土師器須恵器の編年や周辺遺跡の出土品との関係から8世紀初めに中心を持つ古墳群であると考えられ、県下のエミシの族長たちの実態を知りうるものとして注目される。

1999年平成11年)に、国の史跡(指定面積:約7000平方メートル)に指定された。また出土品の内、195点が2018年(平成30年)10月31日に重要文化財に指定された。

主な出土品

15号墳の周溝から朝鮮半島製と思われる金銅製の獅噛式三累環頭大刀把頭(しがみしきさんるいかんとうたちつかがしら)[3]、他に帯金具・蕨手刀・馬具の轡(くつわ)。この柄頭は、発掘当時は内外を通して同類のものはなかったが、その後、韓国全羅南道羅州市の「伏岩里三号墳」の横穴式石室から、丹後平古墳群での出土より数年早くこの大刀が発見されていたことが明らかになった。本古墳群では柄頭だけであるが伏岩三号墳では刀身に着いた状態で出土した。全体の長さは84センチメートル。この韓国の遺跡の築造年代は6世紀後半と推定されている[4]

25号墳の周溝からは、和同開珎(直径2.5センチメートル、708年[和銅元年]鋳造)が出土した。

出土品は八戸市博物館に展示。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 青森県丹後平古墳群出土品(考古資料) - 内訳は以下。八戸市博物館保管。2018年(平成30年)10月31日指定。
    • 金装獅噛三累環頭大刀柄頭 1点
    • 金属製品 86点
    • 玉 54点
    • 土器・土製品 52点
    • 石製品 2点

国の史跡

  • 丹後平古墳群 - 1999年(平成11年)1月14日指定。

所在地

青森県八戸市根城字丹後平「八戸ニュータウン」内

アクセス・交通

脚注

  1. ^ a b 文化庁. “国史跡 丹後平古墳群”. 文化遺産オンライン. 2020年10月2日閲覧。
  2. ^ a b 八戸市教育委員会 博物館 (2020年2月4日). “国指定重要文化財 青森県丹後平古墳群出土品”. 八戸市. 2020年10月2日閲覧。
  3. ^ 長さ9.7センチメートル、最大幅5.8センチメートル、最大厚み1.8センチメートル、獅子が歯をむき出して大刀の柄に噛みついていて、それをクローバー状に三つの輪が囲むものをいう。獅噛環頭と三累環頭の組み合わせは国内では外に例がなく貴重なものである。古墳の年代も6世紀前半から中頃と推定される。
  4. ^ 相原 & 三橋 2009, pp. 22–23.

出典・参考文献

  • 相原, 精次、三橋, 浩『東北古墳探訪』彩流社、2009年9月、22-23頁。 

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「丹後平古墳群」の関連用語

丹後平古墳群のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



丹後平古墳群のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの丹後平古墳群 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS