丹後国分寺跡
丹後国分寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 22:46 UTC 版)
現国分寺以前の伽藍のうち、創建期の古代国分寺の伽藍については所在も含めて詳らかでない。遺物としては軒丸瓦・軒平瓦の2点があり、その文様は山城地方の普賢寺跡(京田辺市)出土瓦や山陰地方の国分寺跡出土瓦と一致する点が注目される。 再興された中世国分寺の伽藍遺構は、現国分寺の南の史跡地に遺存する(位置)。金堂・中門が南北に並び、その西方に塔を置く伽藍配置になる。遺構の詳細は次の通り。 金堂 本尊を祀る建物。門を入った正面に位置する。現在は礎石35個を遺存し、「本堂屋敷」という地名が残る。礎石配置は間口(南北面)五間・奥行(東西面)六間で、『丹後国分寺再興縁起』との一致が認められる。 塔 寺域西に位置する。現在は礎石16個を遺存し、「塔屋敷」という地名が残る。『丹後国分寺再興縁起』に記述はない(再興前から遺存または縁起後に完成か)。「天橋立図」では五重塔が描かれるが、戦国時代には火災で失われている。 中門 寺域南に位置する。現在は礎石2個を遺存する。『丹後国分寺再興縁起』に記述はない。 中世国分寺跡の伽藍を知る史料としては雪舟の「天橋立図」が知られる。同図の金堂・塔・中門の相対的位置は、現在の礎石群とも一致する。 金堂跡奥に現国分寺。 金堂礎石 塔跡 中門跡奥に金堂跡。 祠 伝古代国分寺出土 軒丸瓦・軒平瓦京都府立丹後郷土資料館展示。
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