丹後国分寺跡とは? わかりやすく解説

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丹後国分寺跡

名称: 丹後国分寺跡
ふりがな たんごこくぶんじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 京都府
市区町村 宮津市国分
管理団体 宮津市(昭5・1226)
指定年月日 1930.10.03(昭和5.10.03)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 現國分寺境内本堂屋敷ト称スル地点金堂阯及塔阯ノ土壇礎石現存旧規ノ見ルベキモノアリ又二個ノ門礎ヲ旧位置ニ存セリ
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史跡:  丸山古墳  丸山古墳  丸岡藩砲台跡  丹後国分寺跡  丹後平古墳群  丹波国分寺跡  丹生都比売神社境内

丹後国分寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 22:46 UTC 版)

丹後国分寺」の記事における「丹後国分寺跡」の解説

現国分寺以前伽藍のうち、創建期の古代国分寺伽藍については所在含めて詳らかでない。遺物としては軒丸瓦軒平瓦2点があり、その文様山城地方普賢寺跡(京田辺市出土瓦山陰地方国分寺出土瓦一致する点が注目される再興され中世国分寺伽藍遺構は、現国分寺の南の史跡地に遺存する(位置)。金堂中門南北並び、その西方に塔を置く伽藍配置になる。遺構詳細次の通り金堂 本尊祀る建物。門を入った正面位置する。現在は礎石35個を遺存し、「本堂屋敷」という地名が残る。礎石配置間口南北面)五間・奥行東西面)六間で、『丹後国分寺再興縁起』との一致認められる塔 寺域西に位置する。現在は礎石16個を遺存し、「塔屋敷」という地名が残る。『丹後国分寺再興縁起』に記述はない(再興前から遺存または縁起後に完成か)。「天橋立図」では五重塔描かれるが、戦国時代には火災失われている。 中門 寺域南に位置する。現在は礎石2個を遺存する。『丹後国分寺再興縁起』に記述はない。 中世国分寺跡の伽藍を知る史料として雪舟の「天橋立図」が知られる。同図の金堂塔・中門の相対的位置は、現在の礎石群とも一致する金堂跡奥に現国分寺。 金堂礎石 塔跡 中門跡奥に金堂跡。 祠 伝古代国分寺出土 軒丸瓦軒平瓦京都府立丹後郷土資料館展示

※この「丹後国分寺跡」の解説は、「丹後国分寺」の解説の一部です。
「丹後国分寺跡」を含む「丹後国分寺」の記事については、「丹後国分寺」の概要を参照ください。

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