丹生都比売神社境内とは? わかりやすく解説

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丹生都比売神社境内

名称: 丹生都比売神社境内
ふりがな にゅうつひめじんじゃけいだい
種別 史跡
種別2:
都道府県 和歌山県
市区町村 伊都郡かつらぎ町
管理団体
指定年月日 2002.12.19(平成14.12.19)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 和歌山県北部紀ノ川から南に広がる山地山裾高野山町石道基点となっ ている慈尊院があり、丹生都比売神社は、高野山登る中腹かつらぎ町天野位置 する
 丹生都比売神社は、天野社とも呼ばれる神社であり、金剛峯寺鎮守とされ、丹生 明神狩場明神天野明神)と承元2年1208勧請された気比明神厳島明神 の4神を祀っており、四所明神として崇敬されている。
  空海が、高野山金剛峯寺開創するにあたり高野山周辺地域地主神である丹生 都比売神が、その神領空海譲ったという伝承がある。高野山平安末期以降、こ の神領範囲がすべて高野山領であるという主張基づいて荘園獲得していった。 狩場明神高野明神とも呼ばれ、この神が狩人の姿に化身し空海高野山案内し た伝えられるまた、丹生明神狩場明神は、丹生高野明神として高野山壇上 伽藍多く高野山荘園勧請されている。
  平安末期から盛んになる高野山参詣途中本社詣でることも多くあり、正和2 年(1313)後宇多上皇が、高野山からの帰路参詣している。
  神社本殿は、同規模の春日造4棟であり、1柱を1棟ごとに祀っており、現在 の建物文明元年(1469)の建立のものを最初とする。明応8年(1499)建 立楼門とともに重要文化財指定されている。 古絵図などによれば境内には多宝塔御影堂不動堂山王堂護摩所・鐘楼・ 経蔵坊舎などの建物存在確認されるが、神仏分離により仏教施設撤去され、 神道関係施設だけが残された。
  また、町石道に至る道は、八町坂と呼ばれ町石道の「二つ鳥居」に取り付いてい る。
  このように高野山金剛峯寺開創以前地主神として存在し開創後は鎮守として 崇敬された丹生都比売神社は、神仏習合期の遺構良好に残し我が国における密教 の成立発展地主神との関係を考え上で重要な遺跡である。よって史跡として保 護しようとするものである
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史跡:  丹後国分寺跡  丹後平古墳群  丹波国分寺跡  丹生都比売神社境内  丹田古墳  丹花庵古墳  久世廃寺跡



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