小浜藩台場跡とは? わかりやすく解説

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小浜藩台場跡
松ヶ瀬台場跡
鋸崎台場跡

名称: 小浜藩台場跡
 松ヶ瀬台場跡
 鋸崎台場跡
ふりがな おばまはんだいばあと
 まつがせだいばあと
 のこぎりざきだいばあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 福井県
市区町村 大飯郡おおい町
管理団体 おおい町
指定年月日 2001.01.29(平成13.01.29)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成16.09.30
解説文: 松ヶ瀬台場跡は、若狭湾一部である小浜湾形成する大島半島東端位置する小浜藩台場跡である。
 江戸期小浜藩海防体制は、幕府異国船に対す警戒体制一環として整備された。京都北部位置し京都所司代何度も務めた酒井氏藩主とする小浜藩としては、京都の北を守ろうとする意識の上海防体制強化したものと思われる嘉永4年(1851)には、小浜藩幕府台場築造届け出ており、安政元年(1854)に鋸崎・ヶ瀬に台場築造している。同時期に内の川崎・海手浦台場なども築造され、小浜藩海防体制整備されていった
 大飯町による小浜藩台場跡の現地踏査結果保存状態良好な台場確認された鋸崎・松ケ瀬の両台場については、平成6~10年度に発掘調査実施された。そのうち松ヶ瀬台場跡については、以下のとおりである。
 松ケ瀬1号台場跡は、6基の土塁土塁挟まれた5ケ所の砲眼及び内側の堀状の溝と外周取り巻く溝等によって構成されている。土塁規模は、高さ約0.8~1.2m、長さ約6~8m、幅約7~8.5mである。堀状の溝は、排水等に利用されたものであるまた、砲眼部分は、砲口幅約1m.、開口幅約3~4m規模である。
 松ケ瀬2号台場跡は、半円形をした土塁囲まれており、1号台場跡より海側に立地している。径約80m、土塁の幅約14m、高さ約2.2~2.4mの規模有する土塁内側には、中央半円形砲座が1基、それを挟むように左右それぞれ2基ずつ方形砲座配置されている。半円形砲座は、土塁半円と逆の半円呈し、径は約16mである。半円周囲は高さ約40cm石積みがあり、南と西に出入口設けており、西側には石段設けられている。砲座中央部には、帯状の幅約90cmで約30cm角の板石敷き詰められている。また、半円帯状板石円の中心となる部分から径約35cmの穴が確認された。このことからこの砲台は、回転式大砲置かれ板石回転移動する軌道敷で、穴は軸穴と考えられている。なお、方形砲座は、長さ約6m、幅約5m規模有し、約40cmの高さの盛土造られ一部配石残存している。この台場跡には、焼紅弾室跡も良好に保存されている。
 このように2号台場跡の回転式大砲置かれ遺構現存していることが確認されたのは、初めてであり、か幕末期異国到来海防のための台場が、発掘調査により、その構造とともに解明されたことは貴重である。
 なお、当調査の中であわせて実施され小浜藩の他の台場跡の所在状況調査によっても、当遺跡極めて良好な形で残されていることが確認されており、当時期の海防体制を見る上で貴重であり、史跡指定し保護図ろうとするものである
 松ヶ瀬台場跡及び鋸崎台場跡は、若狭湾一部である小浜湾構成する大島半島位置する小浜藩台場跡である。
江戸期小浜藩海防体制は、幕府異国船に対す警戒体制一環として整備され嘉永4年(1851)には、小浜藩幕府台場築造届け出ている。安政元年(1854)にヶ瀬及び鋸崎に台場築造し、同時期に内の川崎台場海手台場なども築造され、海防体制整備されていった
大飯町による小浜藩台場跡の現地踏査結果保存状態良好な台場跡と確認されヶ瀬及び鋸崎地区について、平成6年度から10年度に発掘調査実施された。そのうち松ヶ瀬台場跡は、2箇所台場築かれ2号台場跡は径約80mの半円形をした土塁囲まれ中央回転式大砲置いたとされる板石施した半円形砲座配置されていた。調査による台場解明保存状態良好なことから松ヶ瀬台場跡平成13年史跡指定されている。
また、鋸崎台場跡では、絵図示された1、3、4番の台場絵図に無い無番台場跡の発掘調査実施した。1番台場跡は、6箇所砲眼をもち、総延長約88m、幅約4mから6m、高さ約1mから1.5mのコの字形の土塁築かれていた。3番台場跡は幅約6m、高さ約0.6mの方形砲座であった。無番台場跡も3番台場跡と同様の方形砲座で、4番台場跡は位置だけを確認したまた、中央部崩落した幅約9m×8m、高さ1.8mの規模の焼紅弾室も確認された。このように酒井家文庫所蔵されている鋸崎台場絵図等の史料発掘調査の成果一致し保存状況良好であることが確認された。
今回鋸崎台場跡追加指定するとともに、「小浜藩台場跡 松ヶ瀬台場跡 鋸崎台場跡」に名称変更して保護万全図ろうとするものである
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小浜藩台場跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/21 08:32 UTC 版)

小浜藩台場跡(おばまはんだいばあと)は、小浜藩領であった敦賀の杉津浦から高浜内浦に至る約30か所に計画・築造された台場群である[1]。ここでは福井県大飯郡おおい町大島に作られた松ヶ瀬台場鋸崎台場(いずれも国の史跡に指定[2])、小浜市小浜津島に作られた川崎台場について述べる。


  1. ^ ふくい歴史百景「赤礁松ヶ瀬台場跡」”. 福井テレビ. 2016年8月26日閲覧。
  2. ^ 文化遺産オンライン「小浜藩台場跡 松ヶ瀬台場跡 鋸崎台場跡」”. 文化庁. 2015年6月21日閲覧。
  3. ^ 歴史の見える風景「小浜藩砲台跡」”. 福井商工会議所. 2015年6月21日閲覧。
  4. ^ 福井の文化財「小浜藩台場跡 松ヶ瀬台場跡 鋸崎台場跡」”. 福井県. 2015年6月21日閲覧。
  5. ^ 台場浜公園にある川崎台場跡案内板。2015年8月8日閲覧
  6. ^ 36 幕末の世情(1)”. 福井文書館. 2015年11月8日閲覧。


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