御所野遺跡とは? わかりやすく解説

ごしょの‐いせき〔‐ヰセキ〕【御所野遺跡】


御所野遺跡

名称: 御所野遺跡
ふりがな ごしょのいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 岩手県
市区町村 二戸郡一戸町
管理団体
指定年月日 1993.12.21(平成5.12.21)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成18.07.28
解説文: 御所野遺跡は、岩手県北西部内陸山間部一戸町所在する。この地域をぬうように北に流れ馬淵川右岸位置し標高一九〇~二〇メートル中位段丘上に立地する。広い所で幅一二メートルほどの平坦な台地が、東から北へ弧状に五〇〇メートルほど続き台地上の平坦面は約六ヘクタール広がりをもつ。周囲にはケヤキブナ茂り、クリ・アケビなどが実り縄文時代彷彿させる豊かな自然環境残っている。
 ここに一戸町農工団地造成計画され平成元年に町教育委員会によって事前調査開始された。その結果遺跡重要性認識され翌年度から平成四年度まで保存前提遺跡広がり内容確認するための調査実施された。
 本遺跡は、縄文時代中期後半営まれ大規模な集落中心となるその後奈良時代から平安時代初頭には終末期古墳構築されている。古墳墳丘はすでに失われているが、いずれも馬蹄形周溝をもち、外径で八~九メートル規模をもつ。合計二〇基が確認できた。さらに平安時代後期集落東側西側地域営まれ竪穴住居と土抗・溝などが検出されている。また中世には台地西側城館として利用されたらしく、竪穴遺構発見されている。このように縄文時代以後継続的に台地利用されていた。
 縄文時代中期半ば円筒上層d・e式あるいは大木8a土器用いられ時期に、この台地上の東側中央・西側の三地点人々居住が始まる。次の大木8b式期になると、中央地点環状配石遺構群とよぶべきものや盛土遺構新たに構築され集落盛期迎える。その後、三地点とも中期末まで多数住居跡などが継続して営まれた。各地点とも、竪穴住居跡は径二~三メートル小型から一〇メートルを越す大型のものまであり、集落全体最終的に〇〇棟以上の竪穴住居営まれたと推定できる
 環状配石遺構群は、広く平し中央地点北部東西八〇メートル南北五〇メートル範囲中に東西二基並べられていた。いずれも中央広場擁し、順に墓穴配石群、掘立柱建物群が取り巻きそれぞれの規模東側長径約五〇メートル西側が約四〇メートル楕円形となっている。下層まで確認調査実施した東側のものは、中央長径十数メートル楕円形の広場をもつ。墓穴長径メートルほどの小判形のもので、それらが二〇基ほどずつ群をなして一〇か所ほどにまとまって分布していると考えられる墓穴の上には同じく一〇か所ほどの配石構築されている。配石型式は、径二×一メートルほどの楕円形人頭大の石を組み長軸一端あるいは両端立石をもつもの、縁を敲打した長方形板石赤色顔料塗布して立石とし根元小型河原石を配したもの、長径五~二メートルほどの楕円形サークル状のものなどがある。安山岩用いることが多くチャート花崗岩砂岩用いられてる。掘立柱建物群も部分的にしか確認されていないが、中央広場建物の軸を向け、二間×一間桁行長さメートル基本するらしい
 二基の環状配石遺構群の南には、盛土遺構弧状に囲む。それは、環状配石遺構群などを造成し時の排土厚さ三〇~五〇センチメートルほどに積み重ねたもので、幅二〇メートル長さ六〇メートルはど弧状延びる。なかには多数屋外炉が介在し各種土器・石器土製品石製品人体レリーフ付き土器片、コハク焼けた獣骨植物種子な多量遺物含まれている。土器は、当初東北地方北部円筒時文化の影響強く受けたのであるが、集落整備され中期後葉には東北地方南部分布していた大木8b式土器主体になっている円筒時文化と大木土器文化圏接触地帯であった当地域における集団文化的変化様相示している。さらにその南にそって中央地点竪穴住居群が配置されている。
 環状配石遺構群と盛土遺構は、本遺跡で最も中枢占め台地中央部幅の広い平坦地営まれ、その設置のために大規模な土木工事実施された。また盛土遺構には膨大な遺物持ち込まれ、火がたかれ、木の実獣骨焼かれ祭祀が行われた可能性がある。これらは中央地点重要性示し縄文時代中期後半集団にとって送葬儀礼や、祭祀が重要であったことを表している。さらに二基の環状配石遺構群が並列して配置され集団中央地点東西の三か所に別れて居住した集落構造は、円筒大木土器文化圏接触地帯における双分制など集団構成原理具体的に明らかにしうる可能性をも示す。
 このように遺跡は、極めて豊かな情報をもち、縄文時代我が国歴史明らかにする上で重要である。よって史跡指定し保存を図るものである
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史跡:  御年代古墳  御所ヶ谷神籠石  御所山古墳  御所野遺跡  御経塚遺跡  御領貝塚  徳丹城跡

御所野遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/27 10:09 UTC 版)

御所野遺跡
復元された高床倉庫
岩手県における位置
所在地 岩手県二戸郡一戸町岩舘字御所野
座標 北緯40度11分52.2秒 東経141度18分22.1秒 / 北緯40.197833度 東経141.306139度 / 40.197833; 141.306139座標: 北緯40度11分52.2秒 東経141度18分22.1秒 / 北緯40.197833度 東経141.306139度 / 40.197833; 141.306139
種類 遺跡
歴史
時代 縄文時代
文化財指定 国の史跡(1993年12月指定)

御所野遺跡(ごしょのいせき)は、岩手県二戸郡一戸町で発見された縄文時代環状集落遺跡。所在地は一戸町岩舘字御所野。1993年平成5年)12月21日国の史跡に指定[1]2021年令和3年)7月27日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された[2]

遺跡御所野縄文公園として整備され、竪穴建物掘立柱建物配石遺構などによる集落が再現されている。公園内に博物館も併設されている。

立地

山間地を北に流れる馬淵川右岸に位置し、東西に長く延びる河岸段丘における標高190-200メートルの中位段丘面に立地する。広い箇所では幅120メートルにもおよぶ平坦な台地が遺跡周囲では東から北へ弧状に0.5キロメートルほどつづき、台地上の平坦面の広さはおよそ6ヘクタールにもおよんでいる。周辺にはケヤキブナなどの落葉広葉樹林が広がり、クリドングリアケビなどが豊富に実る。そばには馬淵川が流れ、そこを遡上するサケマスなどが利用された。

発掘調査の開始と史跡指定

御所野遺跡は、一戸町の農工団地造成計画にともない1989年平成元年)から町教育委員会によって事前調査が開始された。その結果、遺跡の重要性が認められ、翌1990年(平成2年)度から1992年(平成4年)度まで、遺跡保存も考慮に入れて遺跡範囲やその内容を確認するための発掘調査が実施された。調査の結果、配石遺構を中心として掘立柱建物群、さらにその外環に建物(住居)群が配置された大規模な環状集落跡であることが明らかになり、町では開発か保存かの論議に二分されたが、1992年に遺跡を保存し史跡公園として活用することを決断した。

1993年(平成5年)12月21日国の史跡に指定された[1]2021年令和3年)7月27日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録された[2]

遺跡の概要

段丘平坦面のほぼ中央に配石遺構があり、それを中心に縄文時代中期後半に営まれた大規模集落が広がっている。

台地は、奈良時代から平安時代初頭にかけて終末期古墳が構築されている。墳丘はすでに失われているが、いずれも馬蹄形の周溝をもち、外径8-9メートルの規模をもち、計20基を確認している。平安時代後期には東側と西側の地域に集落が営まれ、竪穴建物や土坑、溝跡などの遺構を検出している。さらに、中世には台地の西側が城館として利用されたらしく、竪穴遺構が見つかっている。このように、縄文時代以降も人びとによって継続的に台地が利用されてきたことが、調査の結果、判明した。

縄文時代中期半ばの円筒上層d式・e式土器、あるいは大木8a式土器が用いられた時期に、この台地上の東側、中央、西側の3地点で人びとの本格的な居住が始まったと見なすことができる。次の大木8b式期には、中央地点に環状配石遺構群とよぶべき祭祀の施設や、おそらくはそれにかかわるであろう盛土遺構が新たに構築され、集落は盛期を迎える。その後、3箇所点とも縄文時代中期末葉まで多数の建物が継続して営まれた。各地点とも、竪穴建物跡は径2-3メートルの小型のものから10メートルを越す大型の遺構もあり、集落全体で最終的に500棟以上の竪穴建物が営まれたと推定できる。

1996年平成8年)度および1997年(平成9年)度の調査では、遺跡西側で発見された焼失建物について詳細な精査が行われ、焼土や炭化材の出土状況から、今のところ全国的にも類例のない縄文時代の土屋根建物の痕跡であることが具体的に実証された。

参考画像

脚注

  1. ^ a b 御所野遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ a b Cultural sites in Africa, Arab Region, Asia, Europe, and Latin America inscribed on UNESCO’s World Heritage List” (英語). ユネスコ (2021年7月27日). 2024年11月27日閲覧。

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