御経塚遺跡
名称: | 御経塚遺跡 |
ふりがな: | おきょうづかいせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 石川県 |
市区町村: | 石川郡野々市町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1977.03.08(昭和52.03.08) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S50-5-112御経塚遺跡.txt: 金沢市の西南郊外にひろがる水田地帯に所在する繩文時代後期から晩期の集落遺跡である。昭和29年以来、数次の発掘が実施され、住居跡や土壙、配石遺構などが径約200メートルの環状に発見された。また一部には、甕棺などが存在する墓域も認められ、集落の形態がよく窺われる。出土品は、大量の土器をはじめとし、土偶、耳飾などの各種土製品および石鏃、石斧、石皿、石剣、石刀、石鋸形石器、石冠、御物石器、玉類など豊富な種類の石製品がある。とくに用途・性格が不明の御物石器が石組の内部から発見され、学界の注目を集めた。 |
御経塚遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/30 13:44 UTC 版)
座標: 北緯36度32分46.8秒 東経136度35分56.9秒 / 北緯36.546333度 東経136.599139度
御経塚遺跡(おきょうづかいせき)は、石川県野々市市御経塚1丁目で発見された縄文時代後期から晩期の遺跡である[1]。国の史跡に指定されている。
概要
金沢平野に位置し、周囲には同じく縄文遺跡として著名なチカモリ遺跡、中屋遺跡、米泉遺跡などが位置する。
1954年(昭和29年)に地元の中学生が打製石斧等を発見し、遺跡が発見される。翌1955年(昭和30年)から石川考古学研究会によって発掘調査が行われた。多くの遺物が出土し、北陸地方の縄文時代晩期前葉の土器型式「御経塚式」や「八日市新保式」(八日市新保遺跡※現・チカモリ遺跡)の土器を併せて検討して設定)が設定されるなど、北陸地方縄文後晩期の土器編年の基礎が確立した。また、この発掘では御物石器が初めて出土状況が明確な状況で出土した。その後、大規模開発等に伴って発掘調査が重ねられたが、膨大な遺構や遺物が見つかったことから保存が図られ、1977年(昭和52年)3月8日には国の史跡に指定された。周辺は史跡公園として整備されており、復元された竪穴建物などがある。
出土した品は主に石器で、土掘り具とみられる打製石斧が多く出土し、石鏃やスクレーパーなどが目立つほか、御物石器、石棒といった祭祀用石器も多く出土している。出土した品は2010年(平成22年)6月29日に「御経塚遺跡出土品」として重要文化財に指定されている[2]。
交通
脚注
- ^ “御経塚遺跡 - いしかわの史跡”. 石川県史跡整備市町協議会. 2013年7月29日閲覧。
- ^ “重要文化財 御経塚遺跡出土品”. 野々市市教育委員会. 2013年7月29日閲覧。
参考文献
- 高堀 勝喜 編著『野々市町御経塚遺跡』野々市町教育委員会 1983年
- 布尾和史2013『北陸の縄文世界 御経塚遺跡』(シリーズ「遺跡を学ぶ」087)新泉社
関連項目
外部リンク
- 野々市市観光マップ 御経塚遺跡 - 野々市市
- 全国遺跡報告総覧- 奈良文化財研究所
固有名詞の分類
- 御経塚遺跡のページへのリンク