ど‐ぐう【土偶】
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 571 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 2006.06.09(平成18.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 長野県中ッ原遺跡出土 |
員数: | 1点 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本件は、中【なか】ッ原【ぱら】遺跡から出土した縄文時代後期の立像土偶である。中ッ原遺跡は、八ヶ岳南西麓の台地上、標高約950メートルに所在する縄文時代の大規模な遺跡である。平成十一年、この台地一帯で農地基盤整備事業が計画され、同年から平成13年にかけて発掘調査が行われた。その結果、台地西方先端部付近からは縄文時代後期初頭の住居跡を中心とした集落跡が、また台地東方からは縄文時代後期の墓坑と考えられる土坑群とそれを囲む形で住居跡が、それぞれ遺物・遺構の空白域を隔てて検出された。 本土偶は、このうち後者の地域に築かれた土坑から出土したものである。この土坑は、径約30メートルのほぼ円形の範囲に他の土坑とともに群在するが、土坑群の東限については既存の農道で破壊されていた。土偶は、この土坑群のうち、第70号土坑内(長201センチメートル、幅105センチメートル)に掘り込まれた不整円形を呈する小穴(径50センチメートル)の内部から、左腕先端をほぼ底面に接する深さで、体の右側面を上方にしてほぼ真横に寝かされた状態で出土した。 縄文時代の土偶は、その全形が完存する箇体が非常に稀であることは周知の事実であるが、本例のように明確にそれが埋納された状態で発見される例は、さらに少ない。本例は、縄文時代後期前半に盛行するハート形土偶の流れを引く土偶であるが、同時期の土偶に比べると格段に大型で、しかも内部が中空に作られている点、また顔面が仮面を装着したかのように表現されている点などの特色が指摘できる。また、明確な妊娠表現や丁寧に施文された文様の構成など、造形的にも優れた姿形をもち、その出土状態も明確にとらえることができる稀有な例である。 なお、当遺跡に築かれた他の土坑のうちの六基からは、副葬品と考えられる浅鉢形土器および鉢形土器が出土している。これらは、土偶とほぼ同時期の所産と考えられる。よって、附としてともに保存を図りたい。 |
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 234 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1961.02.17(昭和36.02.17) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 神奈川県足柄上郡大井町大字山田字中屋敷出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 縄文時代の資料。 |
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 238 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1961.02.17(昭和36.02.17) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 千葉県銚子市(旧海上郡海上村)余山貝塚出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 縄文時代の資料。 |
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 248 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1962.06.21(昭和37.06.21) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 北海道室蘭市輪西町出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 縄文時代の資料。 |
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 273 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1965.05.29(昭和40.05.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 山形県最上郡真室川町大字釜渕字五郎前出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 縄文時代の資料。 |
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 274 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1965.05.29(昭和40.05.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 群馬県吾妻郡吾妻町郷原出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 縄文時代の資料。 |
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 42 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1979.06.06(昭和54.06.06) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 北海道函館市著保内野遺跡出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 縄文時代の資料。 |
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 42 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 2007.06.08(平成19.06.08) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 北海道茅部郡南茅部町著保内野出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: |
土偶
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 387 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1981.06.09(昭和56.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 宮城県遠田郡田尻町蕪栗恵比須田出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 恵比須田遺跡は、北上川の一支流である追川沿いの低丘陵に立地し、一帯は縄文時代早期末から晩期の遺物を包蔵する広範囲な地を占めた遺跡である。この土偶はその一隅より石囲いのうちに収められた状態で出土した。 土偶は誇張、抽象などの表現技法を巧みに組合わせて、整った形態に仕上げられている。体躯全体にめぐらされた装飾文様は、東北地方における縄文時代晩期の特徴をよく表わしている。この種の土偶は東北地方の各地でみられるが、そのうちでも、完全な状態を伝え、やや細身とはいえ、最も大形に属すものである。 |
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 444 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 岩手県紫波郡郡南村手代森遺跡出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 手代森遺跡は、盛岡市の南、北上川【きたかみがわ】中流域左岸に形成された小規模な段丘上に位置する。 遺跡の南を西流する大沢【おおさわ】川の河川改修工事によって、昭和五十八年に遺跡が発見され、翌年に発掘調査が行われた。 本土偶は遺物包含属中から、頭部・右腕部・胴脚部の三つに別れて出土した。全身立像【りつぞう】形で両腕は左右とも屈下する。脚は開脚で、やや左に傾く造形であるが、左右対称的に作られている。顔面は典型的な遮光器【しやこうき】形態をとり、額付近に眉と思われる左右対称の突起がある。口は欠損するが、刺突【しとつ】のある突起状の口であったと考えられる。頸には頸飾り風の隆帯【りゆうたい】が巡り、後頭部には三叉【さんさ】状の沈線文【ちんせんもん】・および縄文が施されている。 頸以下は全体的にやや寸詰まり気味となっている。乳房は両側に寄り、腋【わき】下部近くに表現される。胸部・胴部は渦巻状の沈線文・刻目【みざみめ】文を施し、その他を縄文で充填【じゆうてん】する。下腹部には妊娠状態を表現したと思われる高まりが作られている。なお、頭部や胴部には赤色顔料【せきしよくがんりよう】の塗彩痕【とさいこん】が認められる。全体として遺存状態は良好で、色調は黒色を呈する堅緻な焼成【しようせい】である。黒色を呈する土偶表面の研磨は極めて入念で、各所にみられる文様表現は、東北地方縄文時代晩期土偶の特徴を余すところなく表現している。 いわゆる遮光器土偶は、これまでに青森県是川【これかわ】・亀【かめ】ヶ岡【おか】、宮城県蕪栗恵比須田【かぶくりえびすだ】の三遺跡のものが指定されているが、数少ない全形を残す良好な遺存状態とともに、縄文時代晩期(大洞【おおぼら】〈C/B〉式)の代表的な土偶として貴重である。 |
土偶
土偶
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 164 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1957.02.19(昭和32.02.19) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 青森県西津軽郡木造町亀岡出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 縄文時代の資料。 |
土偶
主名称: | 土偶 |
指定番号: | 165 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1957.02.19(昭和32.02.19) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 埼玉県岩槻市真福寺貝塚出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 縄文時代の資料。 |
土偶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 01:40 UTC 版)
土偶(どぐう)は、最狭義では、縄文時代頃の日本列島で[1]作られていた土人形[* 1]を指す[4][5]。
注釈
- ^ 【土人形(つちにんぎょう)】泥土や粘土を材料にした素焼きの人形[2]。人間を象った素焼きの土製品[2]。泥人形[2]、土偶人[3]ともいう。
- ^ その上、日本語としては、本項で解説する「土偶」以前の語義(第1義)として「土製の人形」全般の意もあるため、この点には注意を要する。この語義においては、現代の土産物店などでも売られている土人形や、子供が粘土で作る人や生き物の像も「土偶」である。
- ^ 武藤 譽田 (2014) によれば、「必ず」どこかが壊れているという。
- ^ 眼の表現が誇張され、エスキモーなどが着用するゴーグルを連想させることから名付けられた名称。東北北部の亀ヶ岡式土器様式に伴って出土し、数百年程度の短期間に消長した土偶形式。
- ^ 指定名称内の「盛岡市繋萪内遺跡」は「盛岡市繋」の「萪内遺跡」の意で、「繋」は盛岡市の地名(大字)。国宝・重要文化財指定名称に出土地の大字名を含む例としては、他に「土偶 一箇 長野県茅野市米沢棚畑遺跡出土」などがある。
出典
- ^ 棚畑遺跡(地図 - Google マップ)
- ^ 茅野市米沢埴原田(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
- ^ 八戸市是川風張(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
- ^ 西ノ前遺跡(地図 - Google マップ)
- ^ 中ッ原遺跡(地図 - Google マップ)
- ^ 大井町山田中屋敷(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
- ^ 富士見町落合(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
- ^ 上野原縄文の森(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
- ^ 粥見井尻遺跡公園(地図 - Google マップ)
- ^ 相谷熊原(地図 - Google マップ)
- ^ 武藤・譽田 2014, p. 26.
- ^ a b c “土人形”. コトバンク. 2019年4月29日閲覧。
- ^ “土偶”. 小学館『精選版 日本国語大辞典』. コトバンク. 2019年4月29日閲覧。
- ^ a b “土偶”. 小学館『日本大百科全書:ニッポニカ』. コトバンク. 2019年4月29日閲覧。
- ^ “土偶”. 三省堂『大辞林』第3版. コトバンク. 2019年4月29日閲覧。
- ^ a b c d e 千歳市役所 文化財調査係 (2015年12月8日). “動物形土製品”. 公式ウェブサイト. 千歳市. 2019年5月1日閲覧。
- ^ 猪形土製品 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 鐸形土製品 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b c d e “土偶”. 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. コトバンク. 2019年4月29日閲覧。
- ^ “土偶”. 平凡社『マイペディア』. コトバンク. 2019年4月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “土偶”. 平凡社『世界大百科事典』第2版. コトバンク. 2019年4月29日閲覧。
- ^ a b “岩偶”. コトバンク. 2019年4月29日閲覧。
- ^ “石偶”. コトバンク. 2019年4月29日閲覧。
- ^ 濱修 (2005年3月6日). “弥生時代の木偶” (PDF). 公式ウェブサイト. 滋賀県文化財保護協会. 2019年4月29日閲覧。
- ^ “粥見井尻遺跡 土偶”. 三重県埋蔵文化財センター. 2020年10月20日閲覧。
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- ^ “相谷熊原遺跡出土品”. 文化庁. 2020年10月20日閲覧。
- ^ “南の縄文文化”. 鹿児島県立埋蔵文化財センター. 2020年10月20日閲覧。
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- ^ 土偶 - 文化遺産オンライン(文化庁)
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- ^ 武藤・譽田 2014, p. 28.
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- ^ 相原淳一2023「東北地方における縄文時代中期中空土偶の系統ー宮城県石巻市南境貝塚からー」『宮城考古学』25,pp.133-142,宮城県考古学会
- ^ 原田 2007, p. 226-227.
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- ^ 宮坂 光昭 他編著『棚畑遺跡 八ケ岳西山麓における縄文時代中期の集落遺跡』茅野市教育委員会、1990年。
- ^ 原田 2007, p. 228-229.
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- ^ 泉拓良「II-7 呪術と祀り」『考古学の基礎知識』広瀬和雄編著 角川選書409 2007年
- ^ 修復完了、「結髪土偶」が立った 山形大付属博物館、来月から一般公開 - 山形新聞
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- ^ a b 『神奈川県立博物館研究報告 —人文科学—』2019年
土偶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:45 UTC 版)
木人と同じく呪術によって動く人形系ユニット。攻撃を受けると混乱状態になることもある。
※この「土偶」の解説は、「三國志曹操伝」の解説の一部です。
「土偶」を含む「三國志曹操伝」の記事については、「三國志曹操伝」の概要を参照ください。
土偶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/19 22:41 UTC 版)
ノク文化の土偶の種類は人物の頭部、全身像、象、蛇、サルなどの動物や家畜などがあるが完全なものはなく、おそらく呪術的な儀礼の際に破壊されたと考えられている。図像的特徴は、逆三角形ないしは半円形に沈線で縁取られた大きな目で円形の穴を開けて瞳にしている。人物像については、その風貌はネグロイドで髪型もいろいろな種類が見られる。また斧を担いだ人物像や、ビーズやペンダント、ブレスレッド、なかには、耳や唇にまでアクセサリー類をつけた人物像まであり、当時の風俗を知るうえで貴重な資料となっている。
※この「土偶」の解説は、「ノク文化」の解説の一部です。
「土偶」を含む「ノク文化」の記事については、「ノク文化」の概要を参照ください。
「土偶」の例文・使い方・用例・文例
- 遮光器土偶という土偶
土偶と同じ種類の言葉
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