土偶とは? わかりやすく解説

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ど‐ぐう【土偶】

読み方:どぐう

土をこねって作った人形つちにんぎょう

粘土材料として焼きあげた人形東ヨーロッパでは旧石器時代さかのぼるが、世界的に新石器時代以降農耕社会に多い。日本では縄文時代特色づける遺物女性かたどるものが多く多産豊饒(ほうじょう)・再生呪術用いたらしい。


土偶

読み方:ドグウ(doguu)

粘土製の人形


土偶

読み方:ドグウ(doguu)

縄文時代作られた人の形をした土製品


土偶

主名称: 土偶
指定番号 571
枝番 00
指定年月日 2006.06.09(平成18.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 長野県中ッ原遺跡出土
員数 1点
時代区分 縄文
年代
検索年代
解説文: 本件は、中【なか】ッ原【ぱら】遺跡から出土した縄文時代後期立像土偶である。中ッ原遺跡は、八ヶ岳南西麓の台地上、標高約950メートル所在する縄文時代大規模な遺跡である。平成十一年、この台地一帯農地基盤整備事業計画され同年から平成13年にかけて発掘調査が行われた。その結果台地西方先端付近からは縄文時代後期初頭住居跡中心とした集落跡が、また台地東方からは縄文時代後期の墓坑と考えられる土坑群とそれを囲む形で住居跡が、それぞれ遺物遺構空白域隔てて検出された。
 本土偶は、このうち後者地域築かれ土坑から出土したのである。この土坑は、径約30メートルのほぼ円形範囲に他の土坑とともに在するが、土坑群の東限については既存農道破壊されていた。土偶は、この土坑群のうち、第70土坑内(長201センチメートル、幅105センチメートル)に掘り込まれ不整円形呈する小穴(径50センチメートル)の内部から、左腕先端をほぼ底面接す深さで、体の右側面を上方にしてほぼ真横寝かされた状態で出土した
 縄文時代の土偶は、その全形が完存する箇体が非常に稀であることは周知の事実であるが、本例のように明確にそれが埋納された状態で発見される例は、さらに少ない。本例は、縄文時代後期前半盛行するハート形土偶流れを引く土偶であるが、同時期の土偶に比べる格段に大型で、しかも内部中空作られている点、また顔面仮面装着したかのように表現されている点などの特色指摘できるまた、明確な妊娠表現丁寧に施文された文様構成など造形的にも優れた姿形をもち、その出土状態も明確にとらえることができる稀有な例である。
 なお、当遺跡築かれた他の土坑のうちの六基からは、副葬品考えられる浅鉢形土器および鉢形土器出土している。これらは、土偶とほぼ同時期の所産考えられる。よって、附としてともに保存図りたい

土偶


土偶


土偶


土偶


土偶


土偶


土偶


土偶

主名称: 土偶
指定番号 44
枝番 00
指定年月日 2009.07.10(平成21.07.10)
国宝重文区分 国宝
部門種別 考古資料
ト書 青森県八戸市風張1遺跡出土
員数 1箇
時代区分 縄文時代
年代
検索年代
解説文: 本件は、平成9年6月重要文化財指定され青森県風張1遺跡出土品のうちから土偶一箇分割し国宝指定するのである
 本土偶は青森県八戸市中心部から南へ4.2キロメートル新井田川下流域左岸立地する風張1遺跡から出土したのである。本遺跡対岸には優れた製品大量に出土したことで知られる縄文時代晩期是川遺跡存在する
 風張1遺跡は、昭和63年度に長芋作付け平成元年度に農道改良事業、さらに平成2~3年度には老人ホーム建設に伴う事前調査として四年間わたって発掘調査が行われ、発掘面積合計は15000平方メートル及んでいる。
 本土偶は縄文時代後期第一五号竪穴住居床面上で発見されたもので、発見時には四つ部位割れていた。出土地点は本住居入り口から見た正面床面上で、壁の上方から落下した状況発見されたものであるこのような出土状態から、本土偶は竪穴住居入り口正対する壁上平坦部に置かれていた可能性が高い。また、割れた面には天然アスファルト塗布痕跡認められ当時破損したが、接着補修されていた状況が明らかとなった。土偶は一般的には何かのまつりの後、壊されたり、埋められたり、廃棄されたりすると言われているが、本例は壊れた後に修復され貴重な例で、本土偶が本竪穴住居起居した人々にとってきわめて重要な意味をもつ存在であった考えられる。なお、残存する赤色塗料の状態から、当初本土偶は全身赤く塗られていたと考えられる
 本土偶は両脚若干開いて両膝立て膝頭左右前腕部をのせて両手合わせた姿勢をとる。やや顎を前に出したような形で、頭部上方向かってすぼまり、髪を結うか、もしくは被り物をしているような表現となっている。円板状の顔面粘土紐を貼り付けて眉、目、鼻、口を表わす
口の部分には細かな刺突施されており、これは岩手県萪内遺跡出土大形土偶頭部などと共通する首部には二条刻み目のある隆帯を巡らせる肩部とその両端には四つ隆起がある。胸部はやや小さめ乳房を表わし、乳房間中央より一列刺突女性器部分まで垂下する。手の指の数は六本である。
 以上のように、本件造形的にきわめて優れており、両膝立てて座り手を合わせる姿勢をもつ土偶として現在のところ唯一の完存品であり、か出土状況も明らかである。縄文時代代表する作品であり、国宝としてその保存活用を図るものである

土偶

主名称: 土偶
指定番号 387
枝番 00
指定年月日 1981.06.09(昭和56.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 宮城県遠田郡田尻町恵比須田出
員数 1箇
時代区分 縄文
年代
検索年代
解説文:  恵比須田遺跡は、北上川の一支流である追川沿いの低丘陵立地し一帯縄文時代早期末から晩期遺物包蔵する広範囲な地を占めた遺跡である。この土偶はその一隅より石囲いのうちに収められた状態で出土した
 土偶は誇張抽象などの表現技法巧みに組合わせて、整った形態仕上げられている。体躯全体めぐらされ装飾文様は、東北地方における縄文時代晩期特徴をよく表わしている。この種の土偶は東北地方各地みられるが、そのうちでも、完全な状態を伝え、やや細身とはいえ、最も大形属すのである

土偶

主名称: 土偶
指定番号 444
枝番 00
指定年月日 1989.06.12(平成1.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 岩手県紫波郡南村手代森遺跡出土
員数 1箇
時代区分 縄文
年代
検索年代
解説文: 手代森遺跡は、盛岡市の南、北上川きたかみがわ中流域左岸形成され小規模な段丘上に位置する
 遺跡の南を西流する大沢【おおさわ】川の河川改修工事によって、昭和五十八年に遺跡発見され翌年発掘調査が行われた。
 本土偶は遺物包含属中から、頭部右腕部・胴脚部三つ別れて出土した全身立像りつぞう】形で両腕左右とも屈下する。脚は開脚で、やや左に傾く造形であるが、左右対称的に作られている。顔面典型的な遮光器【しやこうき】形態をとり、額付近に眉と思われる左右対称突起がある。口は欠損するが、刺突【しとつ】のある突起状の口であった考えられる。頸には頸飾り風の隆帯【りゆうたい】が巡り後頭部には三叉【さんさ】状の沈線文ちんせんもん】・および縄文施されている。
 頸以下は全体的にやや寸詰まり気味となっている。乳房両側寄り、腋【わき】下部近く表現される胸部胴部渦巻状の沈線文・刻目【みざみめ】文を施し、その他を縄文充填【じゆうてん】する。下腹部には妊娠状態表現した思われる高まり作られている。なお、頭部胴部には赤色顔料【せきしよくがんりよう】の塗彩痕【とさいこん】が認められる全体として遺存状態は良好で、色調黒色呈する堅緻焼成しようせい】である。黒色呈する土偶表面研磨極めて入念で、各所みられる文様表現は、東北地方縄文時代晩期土偶の特徴余すところなく表現している。
 いわゆる遮光器土偶は、これまで青森県是川【これかわ】・亀【かめ】ヶ岡【おか】、宮城県恵比須田【かぶくりえびすだ】の三遺跡のものが指定されているが、数少ない全形を残す良好な遺存態とともに、縄文時代晩期大洞【おおぼら】〈C/B〉式)の代表的な土偶として貴重である。

土偶

主名称: 土偶
指定番号 37
枝番 00
指定年月日 1989.06.12(平成1.06.12)
国宝重文区分 国宝
部門種別 考古資料
ト書 長野県茅野市米沢棚畑遺跡出土
員数 1箇
時代区分 縄文
年代
検索年代
解説文: 本件は、棚畑遺跡から出土した縄文時代中期立像土偶である。
 遺跡は、八ケ岳西南麓に位置し昭和六十一年工業団地建設先立って調査され台地上約一万平方メートル範囲に、縄文時代中期住居跡約百五十軒、土壙多数からなる南北二つ相接し環状集落であることが明らかにされた。本土偶は、このうち環状集落中央広場内、深さ〇・三メートル不整形土壙内から、完全な形で、右体側部を下にして単独出土した
 棚畑遺跡出土の土偶は、立像大形品で、ハート形縁取られた顔に切れ長の目遠慮がち小さい鼻、あどけなく開けられた口がなんとも愛らしい頭頂部は沈線による渦巻文が描かれ平坦側頭部周辺半肉彫文様結髪表現され後頭部には粒状貼付文一箇と、割付け線のようにも見える細沈線で、幾何学的な文様加えられている。耳は、粘土を小突起状に貼り付け小孔穿つ両腕左右に伸ばして扁平な突起状に表現し、胸には小さな乳房を貼り付る。
 下半身造形は、特に豊満に誇張され腹部小さく深く開けられた臍の孔を中心に、やや下がり気味に突出し明らかに妊娠状態表現するまた、下腹部には、弧線画され左右対称半肉彫文が股間近くまで施される背中はよく磨かれ弓なり曲線描き大きく飛び出した尻にまで至る。脚は太く末広がり筒状直立するが、なぜか右足の方が左足よりも若干短い。
 土偶は縄文時代早期出現し弥生時代到来と共に姿を消す、“ひとがた”に象った祭祀遺物で、現在までに全国出土した数は一万五千箇以上といわれる。これらは時期地域ごとに造形・表現多彩で、それぞれに大きな特徴がある。なかでも縄文時代中期中部高地から関東地方西部中心に栄えた勝坂式土器様式の土偶は、大胆な造形と、様々な姿形のものが多い。しかしそのほとんどは、ばらばらに、故意壊されたような状態の破片出土する。これに対して本件は完形であり、その出土状態には、通常の土偶とは異なる、“埋納”の意図感じられる
 人体各部極端に誇張して表現していながら美し曲線でまとめられ安定感溢れ姿形光沢がでるほど磨きあげられ均整のとれた伸びやか表現質量感。洗練された造形美本土偶は、縄文時代精神文化を語る傑出した遺品として、国宝にふさわしい価値をもつものである

土偶

主名称: 土偶
指定番号 521
枝番 00
指定年月日 1998.06.30(平成10.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 山形県西ノ前遺跡出土
員数 1箇
時代区分 縄文
年代
検索年代
解説文: 本件は、大形安定感のある縄文時代中期立像土偶である。
 頭部扁平扇形作られ後頭部顔面は内彎し、目や鼻等の顔面表現はなく、周囲四箇小孔穿つ。肩は左右に大きく張り出し乳房逆三角形前方下方垂れ下がるように造形されている。この乳房の張り出し沿って二条沈線がW字形に、また腹部正中にも二本沈線描かれ、その下端深さ約二センチメートル刺突で臍を表現する。腰の部分大きく後ろ屈曲し、尻はゆるやかな凸面呈して無文、よく研磨され光沢生じている。腰の前部逆三角形状に浅い沈線区画その内部をさらに細密な線で斜めに充填左右側面両脚付け根入り組み沈線文で飾る。脚部角状二本寄せ合わせて腰に接合させる構造で、表裏ともに太めで浅い沈線斜線状の模様を描く。これに対して脚の側面には文様がない。また、右脚側面下部には、赤み帯びた化粧粘土塗布して仕上げた痕跡残っている。脚の下端でも左右接合し台状前後張り出してこの土偶に安定感与えているが、興味深いのはこの脚先の底面が、左右とも内部粘土刳っている点である。この特徴は、附とした他の土偶にも数例みられ、焼成時に内部生焼けになるのを防ぐ工夫思われる。この刳り込み深さは左脚三・四センチメートル右脚三・七センチメートルで、刳ったのちに整形することなく刳り出し痕跡そのまま残っている。
 本件出土した西ノ前遺跡は、山形県最上郡舟形町舟形字西ノ前に所在する。この地は小国川左岸張り出した河岸段丘で、標高七二メートル測る。この地に国道一三号線舟形バイパス計画され平成四年から同五年に発掘調査が行われた。その結果縄文時代前・中期集落跡と、沢状の落ち込み検出され、そこから多量遺物出土した本土偶は、この沢状の落ち込みから、多量土器とともに発見された。当初本土偶は、約八平メートル範囲から五片に割れた状態で出土し接合によって完形に復元されたものである。土偶の周囲から出土した土器は、大半縄文時代中期大木8a式であり、本土偶の時期もほぼここに求められる
 本土偶は、現在までに発見され縄文時代の土偶のうち、最大の高さを測り、また造形的にも人の姿を究極までデフォルメし、完成した様式美感じさせる優品として、長野県棚畑たなばたけ】遺跡の土偶(国宝)と双璧をなすのである
 なお、当遺跡からは本土偶のほかに四七箇の土偶残欠出土しており、附としてともに保存図りたい

土偶


土偶

重要文化財のほかの用語一覧
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土偶


土偶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/23 01:36 UTC 版)

土偶 青森県亀ヶ岡遺跡出土(重要文化財東京国立博物館所蔵)/遮光器土偶の代表例。cf. 一覧での解説

土偶(どぐう)は、最狭義では、縄文時代頃の日本列島[1]作られていた土人形[* 1]を指す[4][5]

定義

この定義上では、的存在(精霊)と思しきも人型であればこれを含む一方、人および人型の存在以外の生物ならびに非生物は含まれないことになり、例えば動物道具をかたどったものは「土偶」ではなく「土製品」(どせいひん)という扱いになり[6]、「動物形土製品」(例:形土製品[7])、「○○形土製品」(例:鐸形土製品[8])などと呼ばれる。ただし、やや広い別の定義では、上述したうちの非生物以外も全て「土偶」と呼んでおり、従って、「人物土偶[9]」「動物土偶[9]」などという名称が用いられるほか、古墳時代に作られた(生物系の)埴輪も「埴輪土偶[9]」と呼ばれている。しかし「埴輪土偶」を過去の名称であると明言する資料もある[4]。要するに、現状における「土偶」の定義はこの点で曖昧と言わざるを得ず、文化庁が文化財指定時に付与する名称でさえ未だに統一されていない。もっとも、動物や非生物を土偶に含めない定義(最狭義)が主流になって久しい。これらの定義上の土偶は、北海道本州四国九州といった日本各地で出土している一方、これらから遠く離れた島嶼部南西諸島など)からは発見されていない。

最広義では、縄文時代や日本列島に限らず、時代地域を問わない世界史上および世界各地における同様の考古遺物を指し[9]、古くは新石器時代まで遡ることができる[10][11][9]。しかし上述の通り、狭義の用語としての「土偶」の曖昧さは、最広義の「土偶」にも反映されてしまう[* 2]

本項では、特筆しない限り、最狭義の「土偶」すなわち「縄文時代頃(弥生時代等に属する出土物は疑わしく認定されていないが、定義する時点で排除されるべきものではない)の日本列島で作られていた、人および人型の霊的存在を表現したと思しき、素焼きの土製品」について解説し、必要に応じてそれより広義の土偶についても後述する。

なお、材質が土でなくであれば「岩偶」(がんぐう)[12]もしくは「石偶」(せきぐう)[13]と呼び、縄文時代の出土品ではこれも多い[12]。他方、木材による「木偶」(もくぐう)は、縄文時代の出土例は無く、弥生時代以降のものが知られている[14]

概要

ギメ東洋美術館フランスパリ)が所蔵する縄文土偶

世界的には、こうした土製品は、新石器時代農耕社会において、乳房臀部を誇張した女性像が多いことから、通常は農作物の豊饒を祈る地母神崇拝のための人形と解釈されることが多い。ただし、世界史的には、狩猟・採集段階の時代のものとしての類例はあまりない。

日本では、海外の考古学書の翻訳において、"ceramic figurine" や "terracotta (figurine)" の訳語として「土偶」を使用することもある。

縄文土器と同様、土偶も出土地域や時期によって様々な様式のものがある。

現在知られている限りで日本最古級の土偶は、三重県で2箇[15][16]滋賀県で1箇[17]が出土した縄文時代草創期後半のもの、すなわち、粥見井尻土偶相谷土偶である。

次いで上野原遺跡から縄文時代早期の土偶が出土した[18]が、鬼界カルデラの大噴火の影響か九州では後期まで姿を消す事になる。

早期には近畿、関東東部にも広がっている。中期終半には、東北地方を除いてほとんど作られなくなるが、後期には東日本を中心に復興する。

晩期には東北地方亀ヶ岡式文化と呼ばれる文化が発達し、遮光器土偶等、従来のものより、より精巧な土偶が作られるようになった。[19]

弥生時代には東北地方を除いてほとんど作られなくなり、同地方でも盛んに作られたのは弥生時代前期までで、中期には衰退する[20]

山梨県笛吹市御坂町上黒駒出土/ポーズ土偶(仕草や行為を表象した土偶)の代表例。縄文時代中期。東京国立博物館所蔵。[21][22]

国立歴史民俗博物館千葉県佐倉市)の調査によれば、日本全国の出土総数は15000体ほどである。武藤、譽田(2014)は、18,000点程度としている[23]。出土分布は東日本に偏っており、西日本での出土はまれである。千葉県佐倉市にある吉見台遺跡からは、600個以上の土偶が出土している。また、「土偶とその情報研究会」(八重樫純樹)の調査によれば、全国で約1万1千個程度が資料化され、それから類推して、縄文時代につくられた土偶総数を約3千万個とする説もある[24]

秋田県北秋田市伊勢堂岱遺跡出土の板状土偶

現在までに出土している土偶は大半が何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものも多い[* 3][25]。特に、部の一方のみを故意に破壊した例が多い。そのため、祭祀などの際に破壊し、災厄などを祓うことを目的に作成されたという説がある。また、大半の土偶は人体を大きくデフォルメして表し、特に女性の生殖機能を強調していることから、安産・多産[26]などを祈る意味合いがあったものと推定する説もある。その他、用途に関しては、生命の再生[26]神像女神像を含む)、精霊の像、呪物お守り(護符)など様々な説がある。子供玩具やお守りであったとする説[26]、破壊することで身体の悪い所の快癒を祈ったとする説[26]、ばらばらになるまで粉砕された土偶はそれを大地にばら撤くことが豊穣の祈念を意味したとする説[26]などもある。また、集落のゴミ捨て場などに投棄された状態で出土されることが非常に多く[25]、これは、最初から意図的に破壊して投棄することが目的であったという説を支持するものである[25]。ほかにも、考古学者水野正好の唱える説では、縄文人は冬期の太陽の弱まりを怖れ、土偶祭祀は冬を中心に行われたという[27]

土偶(※最狭義)は、人または人型の霊的存在を、こねた土で造形表現し、素焼きで焼成している。全体的には人体を模して成形されているが、頭・胴・手・足などでは抽象的表現が非常に目立つ。しかし、乳房[28]正中線せいちゅうせん[28]妊娠時の腹部[28]女性器[28]臀部など、特定の部位および状態の表現は具体的なものが多い。ほとんどの土偶は女性型であるが[25]北海道千歳市にあるウサクマイ遺跡群の縄文時代晩期層から出土した板状土偶(ばんじょうどぐう)のように、男性器の表象と考えられる突起部を股間に有するものや[29]体型の異なる2体の土偶が同時に出土し、片方が男性と考えられるものなど[要出典]、男性型と思しき土偶も数点の発見例がある。構造については、まずは内部の空洞の有無、すなわち中空(中が空いている)か中実(中まで詰まっている)かで大別し、それぞれを「中空土偶」(ちゅうくうどぐう)「中実土偶」(ちゅうじつどぐう)と呼んでいる[26]。中空土偶は、縄文時代中期[30]に出現する。また、人体を部位別に作ってから組み立てる構造であったかもしれないものと、そうでない普通のものがあり、前者の例としては、既知で最古級の土偶である相谷土偶(滋賀県の相谷熊原遺跡から出土した土偶)を挙げることができる。

動物土偶は、縄文時代後期から晩期にかけて、主に東日本から出土しており、最も数の多い猪(いのしし。瓜坊を含む。cf. 日ノ浜遺跡出土の動物土偶)を始めとして[11]、犬(いぬ[11]、猿(さる[11]、熊(くま[11]鼯鼠むささび[11][6]、海豹(あざらし)にも見える動物[6]水鳥[6]、亀(かめ[11][6]水生昆虫ゲンゴロウ類[11]などがある。

土偶の中に見られる線刻から当時の日本人に入れ墨文化があった傍証とみる考え方がある。線刻は埴輪にも続いて見られる

出現

発生期の土偶

現在知られている限りで日本最古級の土偶は、三重県で2箇、滋賀県で1箇が出土した縄文時代草創期後半のもの、すなわち、粥見井尻土偶相谷土偶である。いずれも小形で、やや厚みのある板状、頭と両腕を突起で表現しており、顔や手足の表現を欠くが、乳房は明瞭に表現されている。

千葉県船橋市小室上台遺跡出土のバイオリン形土偶/船橋市飛ノ台史跡公園博物館所蔵。

縄文時代早期前半になると、関東地方東部に逆三角形や胴部中程がくびれた形の土偶が出現し、早期後半には東海地方にまで分布を広めて、それぞれが明確な土偶形式を形成している。前期は、この延長線上で板状土偶が発達した。しかし、この段階の線刻礫や土偶が実際にどのような目的で造形されたのかは分かっていない[31]

立像土偶

縄文時代中期初頭になると土偶は立体的になり、頭部と四肢の表現が明瞭化すると共に、土偶自体が自立できるようになる。この造形変化は、縄文時代の全期を通じて最も大きなものであった。しかし、突然に変化したのではなく、前期後半には顔の表情豊かな土偶が既に現れていた。表情豊かな土偶で現在知られている最も古い時代に属するものは、縄文時代前期前半の千葉県の石揚遺跡(千葉県柏市泉石揚1254ほかに所在)から出土したものであり、扁平・円形の頭部に2~6個の丸い孔があけられている。同じような表情豊かな土偶は、東海地方から関東地方までの東日本で現れ、当時の土器型式圏を越えた広い範囲に分布している。それが前期末葉になって、新たな変化は東北地方で現れ始める。

長野県辰野町出土の仮面土偶(複製)/森将軍塚古墳館所蔵。

前期後葉の宮城県糠塚貝塚の土偶[32]に始まる。それは両眼・口の表現の獲得である。それ以降は、東北地方中部に分布する土偶から、顔面の表現が次第にはっきり形作られてゆき、北陸地方や中部高地に広がっていき、中期初頭には「立像土偶」へと移り始め、胴部が板状、頭部が円盤状、正面に目・鼻・口が添えられる程度であるが、短期間に立体化し、自立可能な立像を完成させた。長野県棚畑遺跡[33]出土の「縄文のビーナス」はその到達点である。この急速な変化は、それまでの土偶が子孫繁栄、安産祈願、祭祀等の個人レベルの目的に作られてきたのに対して、同時期より村落共同体レベルでの祭祀にも使われるようになったためと考えられる。つまり、土偶はこの中期前葉になって縄文社会に定着したと思われる[34]

縄文時代後期になると、ハート形土偶が現れる。後期から晩期にかけて、関東から東北地方では、山形土偶みみずく土偶遮光器土偶[* 4]などが大量に作られる。また、仮面を被ったもの(仮面土偶)なども見られる[35]九州を除く西日本では人型土偶は稀で、簡略で扁平な分銅形土偶などが多い[36]

縄文時代晩期には頭部の形状が髪を結ったように見える結髪土偶が現れる[37]

土偶の一覧

ここでは、特筆性の高い個々の土偶について解説する。特筆性の高さは考古学的価値や文化財的価値とイコールではないが、現在のところ、記載すべき土偶はおおむね高い価値を認められたものである。

国宝

  • 国宝に指定されている土偶は、国宝に指定された年度の古い順に記載する。本節で使用している通し番号は国宝指定番号とは無関係である。
  • 土偶の通称・愛称と、文化財としての指定名称とは異なることが多い。本節ではこの2つを明確に書き分けている。

国宝に指定されている土偶は、2020年現在、全国で5箇を数えるが、いずれも東日本で出土している。さらにそのうちの2箇は長野県茅野市で出土したものであり、都道府県レベルでも複数という例はほかに無い。 なお、2020年現在、縄文時代の遺物として国宝に指定されているものは、指定の早い順に、縄文のビーナス(1995年)、笹山遺跡出土深鉢形土器(火焔型土器。1999年)、茅空(2007年)、合掌土偶(2009年)、縄文の女神(2012年)、仮面の女神(2014年)であり、笹山遺跡の土器以外は全て土偶である(※愛称のあるものはそれで表記している)。

1. 土偶 棚畑遺跡出土(縄文のビーナス) [38]

棚畑遺跡出土「縄文のビーナス
出土年月日:1986年(昭和61年)9月8日
出土地:棚畑遺跡[gm 1]第500号土坑(霧ヶ峰の南斜面の山裾に広がる台地上に営まれた環状集落の遺構で、長野県茅野市米沢よねざわ埴原田はいばらだ[gm 2]に所在)。
重要文化財指定年月日:1989年(平成元年)6月12日。指定名称:土偶 一箇 長野県茅野市米沢棚畑遺跡出土[39](どぐう ながのけんちのしよねざわ たなばたけいせき しゅつど )
国宝指定年月日:1995年(平成7年)6月15日。指定番号:00037。指定名称:重文指定名称に同じ
所有者:茅野市。保管施設:茅野市尖石縄文考古館所在地:茅野市豊平4734-132)。
時代:縄文時代中期。年代:紀元前3000年頃~紀元前2000年頃、約5500~約4500年前。
寸法:全高27cm、重量2.14kg
備考:中実土偶。「縄文のビーナス」の愛称で知られる。縄文時代の遺物として初の国宝(2つ目は火焔型土器で、1999年指定)。土偶として初の国宝。茅野市初の国宝。

2. 土偶 著保内野遺跡出土(茅空) [40][41][42]

著保内野遺跡出土
「茅空」
出土年月日:1975年(昭和50年)8月24日
出土地:著保内野遺跡北海道茅部郡南茅部町〈現・函館市尾札部町南茅部〉にある個人所有地の畑に所在する集団墓遺構で、調査終了後は埋め戻された。ゆえに詳しい現地情報は積極的に公開されない)。
重要文化財指定年月日:1979年(昭和54年)6月6日。指定名称:土偶 一箇 北海道茅部郡南茅部町著保内野出土[43]
所有者:南茅部町が函館市に編入される前は同町、編入後は函館市。収蔵者:南茅部町役場。
国宝指定年月日:2007年(平成19年)6月8日。指定番号:00042。指定名称:土偶 一箇 北海道函館市著保内野遺跡出土(どぐう ほっかいどう はこだてし ちょぼないのいせき しゅつど)
所有者:函館市。保管施設:函館市縄文文化交流センター所在地:函館市臼尻町551-1)。
時代:縄文時代後期後半。年代:約3500年前[44]
寸法:全高41.5cm[40]、肩幅20.1cm[44]、重量1.745kg[40]
備考:中空土偶。出土地「南茅部」の「茅」と「中空土偶」の「空」に由来する愛称「茅空(かっくう)」でも知られる。現存する中空土偶としては日本最大。土偶として2件目の国宝。北海道で唯一の国宝[42]。出土後の30年以上を町役場の収入役の金庫室の金庫の中の桐箱に収められ保管されていたが、発見から31年目の2007年(平成19年)3月に国宝指定の答申があり、一転して脚光を浴びる存在となった。スミソニアン博物館大英博物館など世界の名立たる博物館で展示された後、同年6月に国宝の指定を受けた[41]

3. 土偶 八戸市風張1遺跡出土(合掌土偶) [45]

風張1遺跡出土
「合掌土偶」
出土年月日:1989年(平成元年)7月。
出土地:八戸市の風張(1)遺跡(新井田川下流域右岸、是川遺跡の対岸にあたる、青森県八戸市是川風張[gm 3]に所在)。
重要文化財指定年月日:1997年(平成9年)6月30日。指定名称:土偶単独の指定ではなく、重要文化財「青森県八戸市風張1遺跡出土品」として一括指定された遺物(縄文時代後期後半の土器類131箇、土製品類177箇(土偶16箇を含む)、石器・石製品類356箇の一括)[46]に含まれる1箇であった。2009年に、この中から「合掌土偶」と呼ばれる土偶1箇のみが分割されて国宝に指定された。
国宝指定年月日:2009年(平成21年)7月10日。指定番号:00044。指定名称:土偶 一箇 青森県八戸市風張1遺跡出土(どぐう あおもりけん はちのへし かざはりいちいせき しゅつど)
所有者:八戸市。保管施設:八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館所在地:八戸市是川横山1)。
時代:縄文時代後期後半。年代:約3500年前。
寸法:高さ19.8cm、幅14.2cm、奥行15.2cm。
備考:「合掌土偶」の愛称で知られる。足や腰の割れ目には天然アスファルトを接着剤のように塗った跡があり、修復しながら使っていた可能性もある。

4. 土偶 西ノ前遺跡出土(縄文の女神) [47]

西ノ前遺跡出土「縄文の女神
出土年月日:1992年(平成4年)8月4日8月6日[48]
出土地:西ノ前遺跡[gm 4]最上小国川左岸の河岸段丘上に位置する、山形県最上郡舟形町舟形西ノ前505-11、現在の西ノ前遺跡公園に所在)。
重要文化財指定年月日:1998年(平成10年)6月30日。指定名称:土偶 一箇 附 土偶残欠47点 山形県西ノ前遺跡出土[49](どぐう つけたりどぐうざんけつ やまがたけん にしのまえいせき しゅつど )
国宝指定年月日:2012年(平成24年)9月6日。指定番号:00045。指定名称:重文指定名称と同じ。
所有者:山形県。保管施設:山形県立博物館所在地:山形市霞城町1-8)。
時代:縄文時代中期[48][50]。年代:紀元前2千年紀、約4500年前[48]
寸法:全高45.0cm。肩幅約16.8cm、腹厚約7cm、股下脚長約15cm、重量(復元重量)3.155kg。[48]
備考:「縄文の女神」の愛称で知られる。2014年現在、日本最大の土偶である[51](最も“長身”で最も重い)。舟形町で唯一の国宝。

5.土偶 中ッ原遺跡出土(仮面の女神英語版 [52]

中ッ原遺跡出土「仮面の女神」
出土年月日:2000年(平成12年)8月23日
出土地:中ッ原遺跡[gm 5]八ヶ岳連峰西麓の細長い屋根状台地の上に位置する、長野県茅野市湖東6404、現在の中ッ原縄文公園に所在)。
重要文化財指定年月日:2006年(平成18年)6月9日。指定名称:土偶 一箇 附 土器8点 長野県中ッ原遺跡出土[53](どぐう つけたりどき ながのけん なかっぱらいせき しゅつど)
国宝指定年月日:2014年(平成26年)8月21日。指定番号:00046。指定名称:重文指定名称と同じ。
所有者:茅野市。保管施設:茅野市尖石縄文考古館(所在地:茅野市豊平4734-132)。
時代:縄文時代後期前半。年代:約4000年前。
寸法:全高34cm、重量2.7kg。
備考:「仮面の女神」の愛称で知られる、仮面土偶。茅野市で2件目の国宝(1件目は「縄文のビーナス」)。

重要文化財

  • 国の重要文化財に指定されている土偶は、出土地を基準に都道府県別で北から順に記載する(ISO 3166-2:JP準拠)。同じ都道府県内では、指定年次の古い順に記載する。保管場所は必ずしも明らかでない場合もあるため、基準としていない。
輪西遺跡出土
出土年月日:1918年(大正7年)(月日不明)[56]
出土地:輪西遺跡わにしいせき貝塚北海道室蘭郡輪西村〈現・室蘭市大沢町の端の江地区[57]〉に所在)。
重要文化財指定年月日:1962年(昭和37年)6月21日[58]。指定番号:__。指定名称:土偶 一箇 北海道室蘭市輪西町出土[59]
時代:縄文時代晩期前半。年代:紀元前10世紀~紀元前5世紀、約1000年前~約400年前。所有者:国立文化財機構[60]。保管施設:東京国立博物館(列品番号:J-36872)[61]
寸法:全高18.4cm、幅14.5cm、厚さ7.2cm[57]
備考:中空土偶。「輪西遺跡出土の土偶[62]」「輪西中空土偶[63]」などと呼ばれる。
亀ヶ岡遺跡出土
  • 土偶 亀ヶ岡遺跡出土 [64]
出土年月日:1886年(明治19年)(月日不明)。
出土地:亀ヶ岡遺跡青森県つがる市木造亀ヶ岡きづくりかめがおか)。
重要文化財指定年月日:1957年(昭和32年)2月19日。指定番号:__。指定名称:土偶 一箇 青森県西津軽郡木造町亀岡出土[65]
時代:縄文時代晩期前半。年代:約1000年前~約400年前(現在の西暦から?1025年~1625年とでも?それとも紀元前?)。所有者:国立文化財機構[66]。保管施設:東京国立博物館(列品番号:J-38392)[67]
寸法:全高36.7cm。
備考:中空土偶遮光器土偶。亀ヶ岡遺跡から出土する土器群、その名も「亀ヶ岡式土器」は、多様性と洗練性を極め、先進性(黒光りするまで磨き上げたものや、弁柄べんがら)を混ぜたで赤く塗られたものまである)も認められるもので、縄文土器の最高傑作といわれているが、係る土偶もそのような文化の中で作成されている。
影響:
三内丸山遺跡出土
  • 土偶 三内丸山遺跡出土 [68]
出土年月日:__。
出土地:三内丸山遺跡沖館川左岸の河岸段丘上に位置する[68]青森県青森市三内丸山に所在)。
重要文化財年月日:2003年(平成15年)5月19日。指定番号:__。指定名称:__。
員数:1箇。時代:縄文時代中期[50]。年代:紀元前3000年頃~紀元前2000年頃[50]。所有者:青森県。保管施設:青森県教育庁文化財保護課[50]
寸法:全高32cm[68]
備考:「青森県三内丸山遺跡出土品」として一括指定された物件のうちの1点。日本最大級の板状土偶[68]。今まで用いられた名称として「十字形土偶」(使用者:東京国立博物館)もある[50]
出土年月日:1998年(平成10年)(月日不明)[71]
出土地:有戸鳥井平4遺跡ありととりいたいよんいせき陸奥湾の支湾をなす野辺地湾に面した海岸段丘上に位置する[71]青森県上北郡野辺地町123に所在)。
重要文化財指定年月日:2012年(平成24年)9月6日。指定番号:00603。指定名称:土偶 一箇 附 深鉢形土器3点 青森県有戸鳥井平4遺跡出土[73]
時代:縄文時代後期[71][70]。年代:__。所有者:野辺地町。保管施設:野辺地町立歴史民俗資料館。
寸法:全高約32cm[72]
備考:板状立脚土偶[72][71]。野辺地町が公募した上で2018年(平成30年)3月下旬に決定した愛称縄文くらら」は、アニメアルプスの少女ハイジ』の有名なフレーズ「クララが立った」を意識したもの[71][72]
萪内遺跡出土
出土年月日:1976年1980年の間(昭和51年~55年の間)[75]
出土地:萪内遺跡しだないいせき繋温泉から西へ約1km雫石川が形成した完新世河岸段丘上に位置する、岩手県盛岡市繋萪内河原に所在)。
重要文化財指定年月日:1984年(昭和59年)6月6日。指定番号:00403。指定名称:土偶頭部 一箇 岩手県盛岡市繋萪内遺跡出土[77](どぐうとうぶ いわてけん もりおかし つなぎ しだないいせき しゅつど)[* 5]
時代:縄文時代後期[75]。所有者:国(文化庁)。保管施設:岩手県立博物館
寸法:全長23cm[75]、全幅(左耳の端と右耳の端の直線距離)22.3cm[75]。実際の人間とほぼ同じ大きさ[75]
備考:遮光器土偶
  • 土偶 手代森遺跡出土 [78]
出土年月日:__。
出土地:手代森遺跡北上川中流域左岸に形成された小規模な河岸段丘上に位置する、岩手県都南村手代森〈現・盛岡市手代森〉に所在)。
重要文化財指定年月日:1989年(平成元年)6月12日。指定番号:00444。指定名称:土偶 一箇 岩手県紫波郡都南村手代森遺跡出土[39]
所有者:国(文化庁)。保管施設:岩手県立博物館
寸法:全高31cm、体幅19cm、厚さ9.5cm、重量(復元重量)約1kg。
備考:遮光器土偶
  • 土偶 恵比須田遺跡出土 [79]
出土年月日:1943年(昭和18年)(月日不明)。
出土地:恵比須田遺跡宮城県大崎市田尻蕪栗恵比須田)。
重要文化財指定年月日:1981年(昭和56年)6月。指定番号:__。指定名称:土偶 一箇 宮城県遠田郡田尻町蕪栗恵比須田出土[80]
時代:縄文時代晩期前半。年代:約3000年前。所有者:国立文化財機構[81]。保管施設:東京国立博物館(列品番号:J-38304)[82]
寸法:全高36.1cm、肩幅21.0cm。
備考:遮光器土偶
  • 土偶 五郎前遺跡出土
出土年月日:1915年(大正4年)春。
出土地:五郎前遺跡(塩根川左岸の河岸段丘上に位置する、山形県最上郡真室川町釜渕五郎前に所在)。
重要文化財指定年月日:1965年(昭和40年)5月29日。指定番号:__。指定名称:土偶 一箇 山形県最上郡真室川町大字釜渕字五郎前出土[83]
時代:縄文時代晩期。所有者:正源寺(山形県最上郡真室川町大字安久津2117に所在)。保管施設:__。
寸法:全高23.4cm、肩幅19cm。仰向けにした時の臍の高さは6.5cm。
備考:大洞A’式の形式の土偶。縄文時代晩期の完形土偶としては全国唯一のもの。
出土年月日:1952年(昭和27年)12月15日
出土地:上岡遺跡(福島盆地の丘陵部、摺上川河岸段丘上に位置する、福島県福島市飯坂町東湯野上岡・宮西に所在)。
重要文化財指定年月日:2011年(平成23年)6月27日。指定番号:00597。指定名称:土偶 一箇 福島県上岡遺跡出土[86]
時代:縄文時代後期。年代:約3500年前。所有者:福島市。保管施設:宮畑遺跡史跡公園体験学習施設。
寸法:全高21.3cm、幅11.5cm。
備考:膝を立ててしゃがみこみ腕を組む得意な姿勢の妊婦を表した土偶。座産あるいは祈りを捧げる姿勢と推定されている。
郷原遺跡出土
  • 土偶 郷原遺跡出土(ハート形土偶)
出土年月日:1941年(昭和16年)(月日不明)。
出土地:郷原遺跡ごうばらいせき群馬県吾妻郡岩島村郷原橋場〈現・東吾妻町郷原橋場〉に所在)。
重要文化財指定年月日:1965年(昭和40年)5月29日。指定番号:__。指定名称:土偶 一箇 群馬県吾妻郡吾妻町郷原出土[83]
時代:縄文時代後期。年代:紀元前2000年頃~紀元前1000年頃。所有者:個人。保管施設:東京国立博物館。
寸法:全高30.5cm。
備考:ハート形土偶の典型。
  • 土偶 真福寺貝塚出土(みみずく形土偶) [87]
出土年月日:1926年(大正15年)(月日不明)[88]
出土地:真福寺貝塚大宮台地の岩槻支台上に位置する集落遺跡で、埼玉県さいたま市岩槻区城南3丁目に所在)。
重要文化財指定年月日:1961年昭和36年)2月17日。指定番号:__。指定名称:土偶 一箇 埼玉県岩槻市真福寺貝塚出土[89]
時代:縄文時代後期後半から晩期前半。年代:約2000年前~約1000年前。所有者:国立文化財機構[90]。保管施設:東京国立博物館(列品番号:J-39223)[91]
寸法:全高20.5cm。
備考:長らく個人蔵であったが、2003年(平成15年)に東京国立博物館が購入し、館蔵品となった。
余山貝塚出土
  • 土偶 余山貝塚出土 [92]
出土年月日:__。
出土地:余山貝塚よやまかいづか利根川河口域に注ぎ込む高田川河岸段丘上に位置する、千葉県海上郡海上村余山〈現・銚子市余山町338〉に所在)。
重要文化財指定年月日:1961年昭和36年)2月17日。指定番号:__。指定名称:土偶 一箇 千葉県銚子市(旧海上郡海上村)余山貝塚出土[89]
時代:縄文時代後期。所有者:公益財団法人辰馬考古資料館。保管施設:辰馬考古資料館兵庫県西宮市松下町2-28に所在)。
寸法:
備考:
出土年月日:1934年(昭和9年)(月日不明)。
出土地:中屋敷遺跡なかやしきいせき神奈川県足柄上郡大井町山田672-33[gm 6]に所在)。
重要文化財指定年月日:1961年(昭和36年)2月17日。指定番号:__。指定名称:土偶 一箇 附 骨片一括 神奈川県足柄上郡大井町大字山田字中屋敷出土[89]
時代:縄文時代晩期あるいは弥生時代最初頭。所有者:大井町内の個人。保管施設:__。
寸法:全高26.7cm、横幅13.7cm、厚み8.7cm。[95]
備考:蔵骨器であったことが分かっており[96]、もはや土偶ではないという解釈も成り立つし、土偶の最終的形状とも言える[96]
出土年月日:1974年(昭和49年)(月日不明)。
出土地:坂上遺跡さかうえいせき八ヶ岳の南西麓に位置する、長野県諏訪郡富士見町落合[gm 7]に所在)[98]
重要文化財指定年月日:2015年(平成27年)9月4日。指定番号:00630。指定名称:土偶 一箇 長野県坂上遺跡出土[99]
時代:縄文時代中期後半[98]。年代:約4500年前~約4000年前[98]。所有者:富士見町。保管施設:井戸尻考古館
寸法:全高23.3cm、最大幅13.4cm、厚さ6.2cm(腰の部分)。
備考:全身がほぼ完存する中実の立像土偶。
  • 土偶 上野原遺跡出土[100]
出土年月日:1991年-1994年平成3-6年)(月日不明)。
出土地:上野原遺跡うえのはらいせき(鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森1−1[gm 8]に所在)。
重要文化財指定年月日:1998年(平成10年)6月30日。指定番号:00524。指定名称:鹿児島県上野原遺跡出土品[101]
時代:縄文時代早期後半
年代:約7500年前[102] 所有者:(公財) 鹿児島県文化振興財団上野原縄文の森 保管施設:鹿児島県立埋蔵文化財センター。
寸法:不明。
備考:九州で現存最古の土偶で、胸に明瞭な乳房表現や肋骨様の細沈線文が描かれる。

その他の文化財

出土年月日:未確認。遺跡の発見は1996年(平成8年)9月。
出土地:粥見井尻遺跡かゆみいじりいせき伊勢湾に注ぐ櫛田川の左岸の河岸段丘上に位置する、三重県松阪市飯南町粥見井尻に所在。現在の粥見井尻遺跡公園[gm 9])。
三重県指定有形文化財。指定年月日:2004年(平成16年)3月17日。指定名称:___。
員数:2箇。時代:縄文時代草創期後半[105]。年代:紀元前11000年前後、約1万3000年前[105]。所有者:三重県。保管施設:三重県埋蔵文化財センター。
寸法:女性の上半身(頭部・胸・腹部)を象った1箇は、全高6.8cm、横幅4.2cm、厚さ2.6cm。もう1箇は頭部のみ。
備考:この2箇は、これまで知られている限りで日本最古級の土偶であるが、後述する滋賀県の相谷熊原遺跡で新たに発見されたものが最古級の1箇として加わり、3箇を数えることとなった。研究者による名称として「粥見井尻土偶」がある[105]。小形でやや厚みのある板状のもので、頭部と両腕を突起で表現しており、顔や手足の表現がないが、乳房は明瞭に表現されている[104]
相谷熊原遺跡出土
出土年月日:2010年(平成22年)5月26日[109]
出土地:相谷熊原遺跡あいだにくまはらいせき[gm 10]愛知川湖東平野に流れ込む先端部に位置する、滋賀県東近江市永源寺相谷町に所在)。
滋賀県指定有形文化財(土器364箇・石器170箇と共に指定)。指定年月日:2015年(平成27年)12月18日。指定名称:相谷熊原遺跡出土品 土偶 土器 石器
員数:1箇。時代:縄文時代草創期後半[105]。年代:紀元前11000年前後、約1万3000年前[105]。所有者:滋賀県。保管施設:___。
寸法:全高3.1cm、最大幅2.7cm。重量14.6g[108]
備考:これまで知られている限りで日本最古級の土偶の一つ[108]。研究者による名称として「相谷土偶」がある[105]
  • 日ノ浜遺跡出土の動物土偶 [110]
出土年月日:1966年(昭和41年)[111]の7月24日から8月5日の間[112]
出土地:日ノ浜遺跡ひのはまいせき津軽海峡に面した砂丘に位置する、北海道亀田郡恵山町〈現・函館市高岱町〉に所在)。
北海道指定有形文化財。指定年月日:1970年(昭和45年)2月12日[113]。指定番号:__。指定名称:__。
員数:1箇。時代:縄文時代晩期。年代:__。所有者:函館市。保管施設:市立函館博物館
寸法:体長5.6cm、体高4.2cm。
備考:瓜坊(の子)の土偶。縄文時代の北海道に猪は棲息しておらず、この土偶は盛んに交流していた本州から交易品として道南に伝わり、祭事などに使用されていたと考えられる[111]

その他

  • 世界最古の土偶(※最広義)としては、2014年現在、チェコ共和国で出土した旧石器時代のものであるとみられる。ただし、住居が火事を起こした結果として粘土製品が偶然に素焼きになってしまったという説もある[114]
  • 神奈川県横浜市栄区公田町にある公田ジョウロ塚遺跡からは、高約16.5cm・幅約20cmの巨大な人頭形土器破片が出土しており「人面把手(顔面把手)」と呼ばれている(神奈川県立歴史博物館[115])。土器に付けた把手だといわれているが、これが取り付けられていたとすると超大型土器になるので土偶説がある[116]。しかし科学分析でも結局正体は解っていない[117]。ただし把手にしても土偶にしても、人間の頭を形作った縄文時代の粘土製品として日本最大級である[117]

脚注

注釈

  1. ^ 【土人形(つちにんぎょう)】泥土や粘土を材料にした素焼き人形[2]。人間を象った素焼きの土製品[2]。泥人形[2]、土偶人[3]ともいう。
  2. ^ その上、日本語としては、本項で解説する「土偶」以前の語義(第1義)として「土製の人形」全般の意もあるため、この点には注意を要する。この語義においては、現代の土産物店などでも売られている土人形や、子供が粘土で作る人や生き物の像も「土偶」である。
  3. ^ 武藤 譽田 (2014) によれば、「必ず」どこかが壊れているという。
  4. ^ 眼の表現が誇張され、エスキモーなどが着用するゴーグルを連想させることから名付けられた名称。東北北部の亀ヶ岡式土器様式に伴って出土し、数百年程度の短期間に消長した土偶形式。
  5. ^ 指定名称内の「盛岡市繋萪内遺跡」は「盛岡市繋」の「萪内遺跡」の意で、「繋」は盛岡市の地名(大字)。国宝・重要文化財指定名称に出土地の大字名を含む例としては、他に「土偶 一箇 長野県茅野市米沢棚畑遺跡出土」などがある。
  1. ^ 棚畑遺跡(地図 - Google マップ
  2. ^ 茅野市米沢埴原田(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
  3. ^ 八戸市是川風張(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
  4. ^ 西ノ前遺跡(地図 - Google マップ
  5. ^ 中ッ原遺跡(地図 - Google マップ
  6. ^ 大井町山田中屋敷(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
  7. ^ 富士見町落合(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
  8. ^ 上野原縄文の森(地図 - Google マップ…※該当地域は赤い線で囲い表示される)
  9. ^ 粥見井尻遺跡公園(地図 - Google マップ
  10. ^ 相谷熊原(地図 - Google マップ

出典

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  • 武藤康宏監修、譽田亜紀子『はじめての土偶』世界文化社、2014年7月。 
  • 千葉毅「神奈川県立歴史博物館所蔵横浜市公田ジョウロ塚遺跡採集 縄文時代土製頭部片のX線CT撮影による分析」『神奈川県立博物館研究報告 —人文科学—46』2019年10月。

関連項目

外部リンク


土偶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:45 UTC 版)

三國志曹操伝」の記事における「土偶」の解説

木人同じく呪術によって動く人形ユニット攻撃を受けると混乱状態になることもある。

※この「土偶」の解説は、「三國志曹操伝」の解説の一部です。
「土偶」を含む「三國志曹操伝」の記事については、「三國志曹操伝」の概要を参照ください。

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