立像土偶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:10 UTC 版)
縄文時代中期初頭になると土偶は立体的になり、頭部と四肢の表現が明瞭化すると共に、土偶自体が自立できるようになる。この造形変化は、縄文時代の全期を通じて最も大きなものであった。しかし、突然に変化したのではなく、前期後半には顔の表情豊かな土偶が既に現れていた。表情豊かな土偶で現在知られている最も古い時代に属するものは、縄文時代前期前半の千葉県の石揚遺跡(千葉県柏市泉石揚1254ほかに所在)から出土したものであり、扁平・円形の頭部に2~6個の丸い孔があけられている。同じような表情豊かな土偶は、東海地方から関東地方までの東日本で現れ、当時の土器形式圏を越えた広い範囲に分布している。それが前期末葉になって、新たな変化は東北地方で現れ始める。 前期後葉の宮城県糠塚遺跡の土偶に始まる。それは両眼・口の表現の獲得である。それ以降は、東北地方南部に分布する土偶から、顔面の表現が次第にはっきり形作られてゆき、北陸地方や中部高地地方に広がっていき、中期初頭には「立像土偶」へと移り始め、胴部が板状、頭部が円盤状、正面に目・鼻・口が添えられる程度であるが、短期間に立体化し、自立可能な立像を完成させた。長野県棚畑遺跡出土の「縄文のビーナス」はその到達点である。この急速な変化は、それまでの土偶が子孫繁栄、安産祈願、祭祀等の個人レベルの目的に作られてきたのに対して、同時期より村落共同体レベルでの祭祀にも使われるようになったためと考えられる。つまり、土偶はこの中期前葉になって縄文社会に定着したと思われる。 縄文時代後期になると、ハート形土偶が現れる。後期から晩期にかけて、関東から東北地方では、山形土偶やみみずく土偶、遮光器土偶などが大量に作られる。また、仮面を被ったもの(仮面土偶)なども見られる。九州を除く西日本では人型土偶は稀で、簡略で扁平な分銅形土偶などが多い。 縄文時代晩期には頭部の形状が髪を結ったように見える結髪土偶が現れる。
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