蛸ノ浦貝塚
名称: | 蛸ノ浦貝塚 |
ふりがな: | たこのうらかいづか |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 岩手県 |
市区町村: | 大船渡市赤崎町 |
管理団体: | 大船渡市(昭9・7・6) |
指定年月日: | 1934.01.22(昭和9.01.22) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 大船渡灣ノ西岸俗ニ大久保トスル丘陵ニアリ層ノ厚サハ略■一尺五寸以上六尺ニ及ヘルトコロアリ表土ハ畑地タルヲ以テ多少貝殻層ノ攪拌セラルルアルモ石器土器、骨器及獸骨ヲ包含シ尚ヨク旧態ヲ保テリ S56-5-42〓(※1)ノ浦貝塚※1.TXT: 〓(*1)ノ浦貝塚は、大船渡湾東岸に面した丘陵上に所在する縄文時代前期から中期にかけて形成された貝塚である。現在の指定地は、貝塚の所在する丘陵地と丘陵北麓の平地部分とからなる。昭和五十五年の発掘調査の結果、丘陵北側の平地部分には遺構・遺物のまったく存在しないことが明らかとなったので、この部分を一部解除するものである。 |
蛸ノ浦貝塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 00:30 UTC 版)
蛸ノ浦貝塚(たこのうらかいづか)は、岩手県大船渡市赤崎町にある縄文時代前期から中期にかけての貝塚を伴う集落遺跡である[1]。国の史跡に指定されている[2]。
概要
貝層は、厚さが最大で2メートルに達し、縄文時代中期の貝塚としては国内最大級のものである。大船渡湾に面する標高35メートルの丘陵上に立地する縄文時代前期~中期(約5,500~4,000年前)の遺跡で、1934年(昭和9年)に国の史跡に指定されたが、1980年(昭和55年)に行われた発掘調査で、丘陵北側の平地部分には遺構・遺物が全く存在しないとわかったため、その部分が解除されている[3]。そのため現在は、貝塚のある丘陵地と丘陵北麓の平地部分のみが、史跡として指定されている[4]。貝塚には屈葬人骨や建物跡のほか、アサリ、マガキなどの貝類、マグロ、タイなどの魚骨層、シカ、イノシシなどのほ乳類の獣骨層などのほか、石器や縄文土器、骨角器が多数出土している。釣り針など漁の道具も発見されており、漁労に携わる人びとのムラであったと推定されている。
脚注
- ^ 『蛸ノ浦貝塚』 - コトバンク
- ^ “国指定文化財の紹介”. 大船渡市. 2025年7月27日閲覧。
- ^ “国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2021年1月13日閲覧。
- ^ “文化遺産データベース”. bunka.nii.ac.jp. 2021年1月13日閲覧。
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