蛇塚古墳とは? わかりやすく解説

蛇塚古墳

名称: 蛇塚古墳
ふりがな へびづかこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 京都府
市区町村 京都市右京区太秦面影町
管理団体
指定年月日 1977.05.04(昭和52.05.04)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S51-12-014[[蛇塚古墳]へびづかこふん].txt: 山城盆地は、かつて中央部巨椋池横たわり桂川などの多く河川流れ込み淀川となって流れ出していた。各河川要所には古式古墳を含む古墳群形成され開拓進展状況示している。一方後期古墳群として最も大規模なものは嵯峨野地域にその中心一つ持っているこの地域の特色としては、前期古墳今のところ認められず、6世紀以降古墳集中する点にあり、この一群中心となる天塚清水山古墳、蛇塚古墳の3前方後円墳である。
 蛇塚古墳は、嵯峨野最大規模をもつ後期古墳あり、かつ、巨石用いた横穴式石室設けていることで著名である。本古墳は、大正9年ごろには墳丘一部残していたが、宅地化により封土失われ昭和11年京都帝国大学考古学研究室が調査実施している。
 失われた墳丘を諸資料から復原すると前方部西南方に向けた全長75メートル前方後円墳復原され、今も宅地区画にその形跡残している。石室後円部設けられ東南方に開口している。羨道含めた石室全長は17.8メートル玄室奥行6.8メートル、幅3.8メートル、高さ5メートル越える。側壁、奥壁とも2~3段巨石用いており、天井石一石除いて失われている。
 この古墳石室は、奈良県石舞台古墳等と比較されるものであり、7世紀代に属するものとみられる代表的な巨石用いた石室としてだけではなく山城の地に繁栄したとされる秦氏等を考え上で重要な古墳いえよう
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蛇塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/28 02:47 UTC 版)

蛇塚古墳

石室内部(玄室から開口部方向を望む)
所在地 京都府京都市右京区太秦面影町
位置 北緯35度0分43.15秒 東経135度42分0.48秒 / 北緯35.0119861度 東経135.7001333度 / 35.0119861; 135.7001333座標: 北緯35度0分43.15秒 東経135度42分0.48秒 / 北緯35.0119861度 東経135.7001333度 / 35.0119861; 135.7001333
形状 前方後円墳
規模 墳丘長75m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
(内部に家形石棺か)
築造時期 6世紀末-7世紀初頭
被葬者 (推定)秦氏一族
史跡 国の史跡「蛇塚古墳」
特記事項 墳丘は非現存
地図
蛇塚古墳
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3 km
甲塚
円山
蛇塚
双ヶ岡1号
段ノ山
清水山
天塚
垂箕山
太秦・嵯峨野地域の古墳分布図

蛇塚古墳(へびづかこふん)は、京都府京都市右京区太秦にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

京都府で最大規模の横穴式石室を有する前方後円墳であったが、墳丘封土は失われ、現在は露出した石室のみが残る。

概要

太秦・嵯峨野地域の主な古墳[1]
古墳名 形状 規模 石室全長 築造時期 陵墓・史跡
垂箕山古墳 前方後円墳 65m 5c末-6c初頭 宮内庁治定墓
3 天塚古墳 前方後円墳 73m (8.1m) 6c前半 国の史跡
(7.7m)
4

5
清水山古墳 前方後円墳 57m 6c中葉-後半 (消滅)
段ノ山古墳 前方後円墳 (消滅)
双ヶ岡1号墳 円墳 44m 15.8m 6世紀後半 なし
衣笠山1号墳 円墳 26m (6.0m) なし
6 蛇塚古墳 前方後円墳 75m 17.8m 6c末-7c初頭 国の史跡
円山古墳
(大覚寺1号墳)
円墳 50m 14.7m 陵墓参考地
狐塚古墳
(大覚寺4号墳)
円墳 28m (12.8m) なし
入道塚古墳
(大覚寺2号墳)
方墳 30m 11.2m 陵墓参考地
南天塚古墳
(大覚寺3号墳)
円墳 25-30m 8.1m (埋没)
御堂ヶ池1号墳 円墳 30m (8.3m) 京都市登録史跡
7 甲塚古墳 円墳 38m 14.4m 7c前半 なし
広沢古墳 円墳 30m 12.0m なし

京都盆地(山城盆地)西部、嵯峨野台地の南縁に築造された古墳である。名称の「蛇塚」は、石室内に蛇が棲息していたことに由来するという[2]1920年大正9年)頃までは墳丘の一部を残していたというが、宅地化によって墳丘封土のほぼ全てが失われ、現在は石室を露出する[3]。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向けた。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する。巨石を使用した大型石室で、石室全長は17.8メートルにおよび、石舞台古墳奈良県高市郡明日香村)にも匹敵する規模になる。石室内には家形石棺が存在したと伝わる[4]。副葬品は詳らかでない。

築造時期は、古墳時代後期-終末期6世紀末から7世紀初頭頃と推定される[4]。現存する京都府の前方後円墳としては最後期に属する。嵯峨野地域では天塚古墳(約71メートル、国の史跡)・清水山古墳(約60メートル、非現存)・垂箕山古墳(仲野親王墓古墳、約75メートル)・蛇塚古墳などの前方後円墳を中心とする6世紀以降の後期古墳が分布するが[3]、これらは嵯峨野一帯を開発した渡来系氏族の秦氏の活動に関係すると見られ、主な古墳は秦氏の首長墓と推測されている。

石室域は1977年(昭和52年)に国の史跡に指定された。現在では石室内への立ち入りは制限されている。

遺跡歴

  • 1936年昭和11年)、墳丘・石室実測調査(濱田耕作京都帝国大学考古学研究室、19371938年に報告)。
  • 1977年(昭和52年)5月4日、国の史跡に指定[3]
  • 1988年度(昭和63年度)、公共下水道工事に伴う古墳周辺の立会調査。石室基底部より下位の遺物包含層から6世紀第4四半期の遺物出土(古墳築造時期の上限を規定)(京都市埋蔵文化財調査研究所、1989年に報告)[5]

墳丘

墳丘の推定規模は次の通り[6]

  • 墳丘長:約75メートル
  • 後円部 直径:約45メートル
  • 前方部 幅:約30メートル

墳丘封土は失われているが、現在でも墳形の名残りは周辺の宅地区画に認められる[3]

45 m
石室
蛇塚古墳周辺の宅地区画

埋葬施設

石室俯瞰図(外観)
石室俯瞰図(内部)
石室展開図

埋葬施設としては、後円部において両袖式横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[6]

  • 石室全長:17.8メートル
  • 玄室:長さ6.8メートル、幅3.8メートル、高さ5.2メートル
  • 羨道:長さ約11メートル、幅2.6メートル、高さ3.4メートル

玄室は、側壁・奥壁とも巨石を2・3段に積んで形成されるが、天井石は一石を遺存するのみである[3]。玄室内には家形石棺が存在したと伝わる[4]

石室の規模は、玄室の幅の点では石舞台古墳奈良県高市郡明日香村)を超える。また玄室の床面積は25.8平方メートルを測り[2]高倉山古墳三重県伊勢市)、こうもり塚古墳岡山県総社市)、石舞台古墳に次ぐ全国第4位に位置づけられる[2]

なお、石舞台古墳の石室は花崗岩(火成岩、深成岩)であるが、蛇塚古墳の石室はチャート(堆積岩)である。京都盆地北縁は、丹波層群(ペルム紀からジュラ紀(約2億9,900万年前-約1億4,550万年前)に海底でできた地層)に属するチャート・砂岩・頁岩などが山地を構成しており、チャートは京都市北部に多く見られるが、産出地は明らかでない。

文化財

国の史跡

  • 蛇塚古墳 - 1977年(昭和52年)5月4日指定[3]

交通アクセス

脚注

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 梅原末治「日本古墳巨大石室聚成」『京都帝国大学文学部考古学研究報告』第14冊、京都帝国大学文学部、1937年。 
  • 梅原末治「山城太秦巨石古墳」『日本古文化研究所報告』第9、日本古文化研究所、1938年。 
  • 京都大学考古学研究会 編「各古墳の概要 > 蛇塚古墳」『嵯峨野の古墳時代 -御堂ヶ池群集墳発掘調査報告-』京大考古学研究会出版事務局、1971年。 
  • 京都市 編「古墳時代 > 右京区」『史料京都の歴史』 第2巻 考古、平凡社、1983年。 
  • 奥村清一郎「嵯峨野の前方後円墳」『京都考古』第72号、京都考古刊行会、1993年、1-6頁。 

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