白米山古墳とは? わかりやすく解説

白米山古墳

名称: 白米山古墳
ふりがな しらげやまこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 京都府
市区町村 与謝郡与謝
管理団体
指定年月日 2002.03.19(平成14.03.19)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 白米山古墳は古墳時代前期墳丘長約90mの前方後円墳である。古墳のある加悦町は,丹後半島つけ根天橋立のある宮津湾阿蘇海にそそぐ野田川中流域にあり,丹後地方でもっとも広い平野をもつ。古墳東側丘陵野田川形成した平野つきだした先端部分にある。史跡になっている蛭子山古墳作山古墳群は,白米山古墳の北約1.5km位置する
 白米山古墳は昭和はじめに存在知られており,墳丘測量何度かなされ, 昭和62年には京都府文化財指定されている。その後平成6年国道176号線バイパス古墳の脇に開通したことにより,道路沿いの開発予想されるようになったため、保存目的とする範囲確認調査平成8年10年の3カ年わたって加悦町教育委員会実施した
 本古墳は,西方平野部からの比高20mほどの小丘陵上に立地し前方部を北に向ける。墳丘長約90m,復円部の直径約52m,高さ約8m前方部の幅約31mの規模をもつ。前方部先端でやや開く形態である。墳丘二段築成で,前方部後世改変受けているが全体に遣存状況がよく,復円部では葺石が墳頂近くまで残っている部分もある。復円部のテラス面には礫敷を施している。後円部では調査範囲複数主体部認められたが、中心主体第1主体とよぶ東西方向竪穴式石室である。長さ4m推定され天井石6確かめている。この竪穴式石室への埋葬に際して、それを囲み前方部開いたT字形打ち込んでいること、また復円部の縁辺列をめぐらせていることが確かめられた。また、テラス面にも小石室や石棺などの埋葬施設認められ、さらに墳丘周辺には方形基調とする小規模な古墳や、木棺墓土坑墓確かめられている。これらは、復円西側尾根上にある白米山西古墳群
とともに、白米山古墳の被葬者と同じ集団よるもの考えられ、共通の墓域となっていたものであろう
 白米山古墳は出土した土器から、古墳時代前期中頃築造されたものと考えられる古墳時代前期でも未頃になると、前方後円墳分布広範に広がるとともに大型のものも現れてくるが、前期前半から中頃前方後円墳は数が限られており、また100m前後規模をもつものはさらに少ない。そのなかで90mの規模をもつ白米山古墳は、この時期のものとしては丹後最大であり、丹後地域における前方後円墳波及考え上で欠くことのできない重要な古墳である。よって史跡指定し保存図ろうとするものである

白米山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 22:53 UTC 版)

白米山古墳

墳丘(左に前方部、右奥に後円部)
所在地 京都府与謝郡与謝野町字後野小字白米山[1]
位置 北緯35度29分34.40秒 東経135度6分2.90秒 / 北緯35.4928889度 東経135.1008056度 / 35.4928889; 135.1008056座標: 北緯35度29分34.40秒 東経135度6分2.90秒 / 北緯35.4928889度 東経135.1008056度 / 35.4928889; 135.1008056
形状 前方後円墳
規模 墳丘長90m
高さ7.5m(後円部)
埋葬施設 竪穴式石室1基
土壙墓2基
木棺直葬1基
出土品 土器片
築造時期 古墳時代前期中葉
史跡 国の史跡「白米山古墳」
地図
白米山古墳
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白米山古墳(しらげやまこふん)は、京都府与謝郡与謝野町後野にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

概要

京都府北部、丹後半島付け根の加悦谷の東縁部、加悦谷に突き出す丘陵上に築造された古墳である[1][2]。現在までに墳丘を良好に遺存し[3]、これまでに1996-1999年平成8-11年)に発掘調査が実施されている[1]

墳形は前方後円形で、前方部を北方に向ける[2]。墳丘は2段築成[1][2]。墳丘長は90メートルを測り、加悦谷では北約1.5キロメートルに所在する蛭子山1号墳(145メートル)に次ぐ規模になる。墳丘表面では斜面で葺石、テラス部で円礫敷きが認められるが、埴輪は認められていない[1]。埋葬施設は後円部中央における竪穴式石室1基・土壙墓2基・木棺直葬1基などであるが、未調査のため詳細は明らかでない[1]

この白米山古墳は、出土土器等より古墳時代前期中葉頃の築造と推定される[1][2]。丹後地方では、古墳時代前期後半以後に「日本海三大古墳」すなわち蛭子山1号墳・神明山古墳(京丹後市丹後町宮)・網野銚子山古墳(京丹後市網野町網野)を始めとする大型前方後円墳の築造が知られるが、本古墳の築造時点では本古墳が最大規模であり、当時としては全国的にも大型の規模になる[2]。日本海側では最古級の前方後円墳ともされ[4]、丹後地方における前方後円墳の波及を考察するうえで重要視される古墳になる[2]

古墳域は2002年(平成14年)に国の史跡に指定されている[2]

遺跡歴

墳丘

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:90メートル
  • 後円部 - 2段築成。
    • 直径:54メートル
    • 高さ:7.5メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 幅:32メートル
    • 高さ:5メートル

2段築成の墳丘は、1段目では地山整形、2段目では盛土による[1]

埋葬施設

後円部墳頂

埋葬施設としては、後円部墳頂中央部において竪穴式石室1基、土壙墓2基、木棺直葬1基が認められているが、いずれも未調査のため詳細は明らかでない[1]。竪穴式石室(第1主体:中心埋葬)は、石室主軸を墳丘主軸と直交する東西方向とし、長さは推定4メートルで、天井石6枚が認められる[4][2]。石室周囲には杭列や柱穴列も検出されている[1][2]

またテラス埋葬として竪穴式小石槨2基、石棺直葬1基が認められているが、副葬品は検出されていない[1]。そのほか、周辺埋葬として方形周溝墓2基(刀子1点出土)とその溝内埋葬、割竹形木棺直葬1基(鉇1点出土)、木蓋土壙墓1基、土壙墓3基が認められている[1]

周辺古墳

白米山古墳の周辺には古墳数基が分布する。そのうち後円部西側の丘陵に分布する4基は白米山西古墳群として認知される[1]。1号墳・2号墳については1998年(平成10年)に発掘調査が実施されている[1]。内容は次の通り。

  • 1号墳 - 小方墳。埋葬施設は割竹形木棺の直葬。鉄斧1点が出土。[1]
  • 2号墳 - 半円形の台状墓。埋葬施設は割竹形木棺の直葬。[1]
  • 3号墳 - 半円形の台状墓。埋葬施設は割竹形木棺の直葬。[1]
  • 4号墳 - 半円形の台状墓。埋葬施設は割竹形木棺の直葬。[1]

そのほか、白米山古墳の前方部西側では白米山北古墳[6]、前方部東側では白米山東古墳が所在する。

以上の古墳は、白米山古墳の周辺埋葬墓と同様に、一帯が白米山古墳被葬者と同集団による共通墓域であったことを示すとされる[2]

文化財

国の史跡

  • 白米山古墳 - 2002年(平成14年)3月19日指定[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 白米山古墳(続古墳) 2002.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 白米山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 史跡説明板。
  4. ^ a b 白米山古墳(国指定史跡).
  5. ^ 京都府指定・登録等文化財(京都府教育庁指導部文化財保護課)。
  6. ^ a b 「白米山北古墳」『京都府埋蔵文化財情報 第50号 (PDF) 』京都府埋蔵文化財調査研究センター、1993年、pp. 21-23(リンクは京都府埋蔵文化財調査研究センター)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 「白米山北古墳」『京都府遺跡調査概報 第57冊』京都府埋蔵文化財調査研究センター、1994年。 
  • 『白米山古墳I(加悦町文化財調査報告 第25集)』加悦町教育委員会、1997年。 
  • 『白米山古墳II(加悦町文化財調査報告 第26集)』加悦町教育委員会、1998年。 
  • 『白米山古墳III・須代遺跡IV(加悦町文化財調査報告 第28集)』加悦町教育委員会、1999年。 
  • 『白米山西古墳群発掘調査報告書(奈良女子大学考古学研究報告 1)』奈良女子大学文学部、2000年。 

関連項目

外部リンク




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