山前遺跡
名称: | 山前遺跡 |
ふりがな: | やままえいせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 宮城県 |
市区町村: | 遠田郡美里町 |
管理団体: | 美里町(旧名:小牛田町(H18.1.1)) |
指定年月日: | 1976.06.07(昭和51.06.07) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S51-6-007[[山前]やままえ]遺跡.txt: 宮城県の北部、大崎平野の中の低い独立丘陵の南面、段丘上に営まれた集落跡である。繩文時代早期の貝塚が段丘の西側斜面に形成されている。貝塚は小範囲で、カキ・ハマグリ等の[[鹹水]かんすい]産の貝類によって構成されていて、この地方における海水産貝塚としては最奥の地に位置するものである。繩文時代中期後半には段丘上のほぼ全域にわたって遺物包含層が形成されている。竪穴住居跡が確認され、段丘上に大規模な集落が形成されたことがわかる。竪穴住居跡は径約5メートルの円形の平面を示すものがある。 古墳時代の前期になると、段丘端をめぐって幅4~6メートルに及ぶ周濠が掘られ、この濠に囲まれた内部に集落が営まれている。溝は鍵手状に屈曲して掘られ、西方に凸出部があり人工的なものである。さらに内部を区画する濠もあり、防衛的な施設かとみられている。この濠からは農耕具など木製品も多く出土している。 なお、板碑も出土し中世の館も丘陵上に築かれている。本遺跡は繩文時代中期の集落遺跡としてはきわめて保存状況もよく、加えて繩文時代早期の貝塚としても顕著なものである。また、古墳時代の集落のあり方を知る上でも、興味深い一例として重要な遺跡といえるであろう。 |
山前遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/25 09:41 UTC 版)
山前遺跡 | |
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種類 | 縄文時代~平安時代にかけての集落 |
所在地 | 宮城県遠田郡美里町 |
山前遺跡(やままえいせき)は、宮城県遠田郡美里町に所在する複合遺跡。縄文時代早期から中期にかけての集落跡と、古墳時代から平安時代にかけての集落跡からなり、1976年(昭和51年)6月7日に国の史跡に指定された[1]。
概要
大崎平野の中の、低く大きな独立丘陵から南面に張り出した、標高15〜20メートルの段丘上の南側緩斜面に営まれた集落跡で、段丘の西側斜面に縄文時代早期の貝塚がある。
1965年(昭和40年)と1974年(昭和49年)、1975年(昭和50年)に発掘調査が行われた。縄文時代の集落は東西490メートル、南北120メートルの範囲で、中期の竪穴建物跡があり、段丘上に大規模な集落が形成されたことが判明しており、竪穴建物跡の径には約5メートルの円形の平面を示すものがある。貝層は径15メートルと小規模で、縄文早期~前期のカキ・ハマグリを主体である。
古墳時代前期の遺構面からは、集落跡とその前面を区画する大溝が発見されており、段丘端をめぐって幅4〜6メートルの周濠が掘られ、この濠に囲まれた内部に集落が営まれている。大溝は集落を防御するための施設とみられ、大溝内から木製の鋤先・砧・突き棒、竹製の笊・籠などが出土している[2]。
所在地
- 〒987-0005 宮城県遠田郡美里町北浦字山前
アクセス
脚注
- ^ 山前遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2017年1月7日閲覧。
- ^ 指定文化財|史跡|山前遺跡 - 宮城県
関連項目
外部リンク
- 指定文化財|史跡|山前遺跡 - 宮城県
座標: 北緯38度32分18.5秒 東経141度02分54.2秒 / 北緯38.538472度 東経141.048389度
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