本野原遺跡とは? わかりやすく解説

本野原遺跡

名称: 本野原遺跡
ふりがな もとのばるいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 宮崎県
市区町村 宮崎市
管理団体
指定年月日 2004.09.30(平成16.09.30)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成18.01.26
解説文: 本野原遺跡は、宮崎県央の田野町南部位置し標高約180m前後台地上に立地する平成12年度より県営農地保全整備事業に伴い田野町教育委員会発掘調査行ったところ、旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡であることが判明し、特に縄文時代後期には九州地方では極めて類例少な大規模な集落形成していたことが明らかとなったこのため田野町教育委員会では遺跡の保存を図るとともに集落範囲及び内容確認するための発掘調査行った
集落は径80mから100m範囲すり鉢状アカホヤ火山灰大規模に削平、除去した後に、広場考えられる空閑地中心に土坑掘立柱建物竪穴住居が径100mほどの環状配置される構造である。広場祭祀空間見られ中央部配石土坑構築されている。竪穴住居環状北側及び東側集中し重複激しい。土坑空閑地接して外側分布し、中から炭化した堅果類出土したものがある。また、骨粉出土したものは墓坑の可能性がある。環状北側には掘立柱建物整然と南北方向に並ぶ。南東部斜面からは大量土器出土していることから、捨て場形成されいたもの考えられる集落北西部には硬化面をもった道路確認されている。出土遺物では土器多く石器では磨り石や石皿などの食料加工具の比率が高い。さらに、土製円盤多く出土している。
また、集落西側にも遺構遺物濃密分布しており、出土遺物等から集落西側移動したことが推測されている。
遺跡集落構造及び出土遺物から見て南九州代表する縄文時代後期拠点集落考えられ、この地域縄文社会・文化考え上で極めて重要な遺跡である。また、環状呈する集落構造全体判明したものとしては当該地域における初めての事例である。よって史跡指定し保護図ろうとするものである
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本野原遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/25 09:03 UTC 版)

本野原遺跡
宮崎県における位置
所在地 宮崎県宮崎市田野町甲
座標 北緯31度49分23秒 東経131度16分57秒 / 北緯31.82306度 東経131.28250度 / 31.82306; 131.28250座標: 北緯31度49分23秒 東経131度16分57秒 / 北緯31.82306度 東経131.28250度 / 31.82306; 131.28250
種類 複合遺跡
歴史
完成 旧石器時代 - 縄文時代
追加情報
一般公開 Yes

本野原遺跡(もとのばるいせき)は、宮崎県宮崎市田野町甲に位置する旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡[1]竪穴建物が100軒以上発掘されており、横峯遺跡と並ぶ、特に縄文時代後期における西日本最大規模の定住集落遺跡(環状集落)とされる[2]2004年平成16年)に国の史跡に指定[3]

概要

本野原遺跡は、宮崎県央の田野町南部に位置し、標高約180 m前後の台地上に立地する。2000年度(平成12年度)より県営農地保全整備事業に伴い、田野町教育委員会が発掘調査を行ったところ、旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡であることが判明し、特に縄文時代後期には九州地方ないし愛知県以西の西日本では極めて類例の少ない大規模な集落を形成していたことが明らかとなった[1][2]。集落は径80 mから100 mの範囲をすり鉢状にアカホヤ火山灰を大規模に削平、除去した後に、広場と考えられる空閑地を中心に土坑掘立柱建物竪穴建物が径100 mほどの環状に配置される構造である[1]。広場は祭祀空間と見られ、中央部に配石や土坑が構築されている。竪穴建物は環状の北側及び東側に集中し、重複が激しい。土坑は空閑地に接して外側に分布し、中から炭化した堅果類が出土したものがある。また、骨粉が出土したものは墓坑の可能性がある[1]

環状の北側には掘立柱建物が整然と南北方向に並ぶ。掘立柱建物は列状に11棟、環状に10棟みつかったが、列状に並んだ3軒の柱穴が直径80センチと極めて大きいことが東日本のものと類似しており、また九州の建築様式も取り入れていることから文化圏の交流があったと考えられている[2]。また集落の北西部には硬化面をもった道路が確認されている[1]。この遺跡は集落構造及び出土遺物から見て、南九州を代表する縄文時代後期の拠点的集落と考えられ、この地域の縄文社会・文化を考える上で極めて重要な遺跡である[1]

また、環状を呈する集落構造全体が判明したものとしてはこの地域における初めての事例であり、歴史的価値が極めて高く、西日本最大の縄文時代集落遺跡として国の史跡に指定された[1]

出土物・国内最古のゴキブリ

出土遺物では土器が多く計17万9237点、重量2.8トンもの土器が出土している。またコクゾウムシの圧痕173点が見つかり、全国の縄文時代におけるコクゾウムシ出土数の過半数を占める圧倒的な検出数になった[2]。石器では磨り石や石皿などの食料加工具の比率が高い。さらに、土製円盤も多く出土している[1]

2016年、本遺跡で発掘されていた縄文土器の圧痕からクロゴキブリ卵鞘が発見され、国内最古のゴキブリと報道された[2]。このクロゴキブリは中国南部に原産をもつとされ、当遺跡へは船で渡ってきた可能性があるとされる[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 本野原遺跡”. 文化遺産オンライン. 2020年1月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 国内のゴキブリの起源か 縄文土器から「第2の発掘」”. NIKKEI STYLE (2016年6月28日). 2020年1月24日閲覧。
  3. ^ 検索詳細|みやざきの文化財情報”. www.miyazaki-archive.jp. 2020年1月26日閲覧。

関連項目

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