聞天閣貝塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 15:04 UTC 版)
「吉田山 (名古屋市)」の記事における「聞天閣貝塚」の解説
吉田山の裾部に位置する弥生時代後期の貝塚。遺跡名はかつてこの山の中央部に建てられていた聞天閣に由来するとみられる。初めて土器などの遺物が発見されたのは、1916年(大正5年)だが、本格的な遺跡発見につながったのは、1929年(昭和4年)11月27日、作業員が松の移植作業中に約1.8メートルの穴を掘ったところ、約60センチメートルのところにハマグリを主体とする大量の貝が埋まっているのを発見したことによる。同じ場所からは土器も出土し、市内の研究者によって弥生土器である事が確認された。なお出土した遺物のうち名古屋市立名古屋図書館に保管されていたものは、戦災によって焼失した。
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