聞天閣
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「吉田山 (名古屋市)」の記事における「聞天閣」の解説
共進会において名古屋市が貴賓館として吉田山に整備したのが、聞天閣(もんてんかく・ぶんてんかく)である。当初は「九皐閣(きゅうこうかく)」と命名され、後に「聞天閣(ぶんてんかく)」と改称された。中国の古典『詩経』に載せられた「鶴鳴」の詩の一節「鶴九皐に鳴き声天に聞こゆ」にちなみ、阪本釤之助市長が命名したとされる。 金閣を模した建物で広さが501.2m2、こけら葺の純日本建築で屋根の中央には青銅製の鳳凰が飾られていたという。これは共進会終了後も残され、貴賓館などとして使われていたが、1940年(昭和15年)に防空意識を高めるために鶴舞公園で開かれた火災実験の火が飛び火して屋根の一部を焼失。1942年、移築のために解体された(鶴舞公園は1944年に陸軍に接収されて高射砲陣地とされた)。1945年の空襲で、保管されていた資材は焼失したという。
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